様々なお仕事に関わっているので、業界ならでは、のデータを拝見することがあります。 今回教育関係の知人より紹介されたのは、「これから(数学の)教員を目指そう」としている方(大学2、3年生や教職浪人生が中心でしょうか)が受験した、とある数学の模擬試験の誤答例。
※母集団の大きさなどは控えさせていただきます。
→定性的な、1つの事例として捉えていただければ幸いです。
【問題】AC>ABである△ABCにおいて、∠B>∠Cであることを証明せよ。
【誤答】三角形の長い辺に対応する角は、短い辺に対応する角より大きいので、∠B>∠C(証明終)
これがなんと、全体の約15%…。
「証明になっていない」ということは、一般の方でもわかる方が多いのではないでしょうか。
誤答は、問題文を「換言」したにすぎません。
私見では…
<一般の方であれば>
・解けないのがフツウ(解ければ「すごい」)
・上記誤答例を見て「証明になっていない」とは気づいて欲しい。
(↑は希望であって、「プロ」じゃないので、気づかなくてもしょうがない、とは思いますけど)
というレベルで
<数学の先生(あるいは、それを目指す)のであれば>
・解けないのはマズイ。今後解けるようになって欲しい。
・上記のような誤答は絶対あってはいけない。
と強く、強く感じます。まだ白紙回答の方がマシかもしれません。
模擬試験独特の緊張感や、制限時間が定まった中での答案…いろいろな事情はあるかもしれませんが、たとえそんなことがあっても、こんな誤答は「やってはいけない」のです。
「数学」の「教え手」のプロを目指すのであれば。
この誤答は、「数学力」としても甘いのはもちろんのこと、「教え手」、つまり「なぜ」「どうして」の筋道を立てて教えるべき立場の人間としての能力そのもの、加えて「意欲」の部分で、とても「わかってもらおう」という姿勢が感じられないからなんです。
もっと言うと、「この問題ができない」そのものが問題なのではなく、自分に不足している部分に気づいたとき、「できないことが(筋道・論理を把握して)できる」ようになるとは、残念ながらとても思えない、それくらいの誤答です。
単なる「ゴマカシの解答」(そして「ゴマカシ」と即座にわかる解答)と呼べるもので。
で、この誤答が15%とは、数学を始めとした理系教諭のリソース不足(すでに現場では顕在化しています)が今後益々「教育」の世界を蝕んでいく…そう感じます。
持論として、
「先生の教え方が悪かったから、○○(○○は教科名。数学とか)ができなくなったんだ」
「先生とそりがあわなかったから、○○(同上)が苦手になった」
というのは、言い訳にすぎない、というのがあります。
ある教科が苦手な場合、もちろん、そういう影響もゼロではない場合もあるでしょう。
とはいえ、参考書や問題集などの「代替手段」に頼れば、克服できた部分もあるのではないでしょうか。
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