日本の高齢者の8割は、病院で死ぬ。これは欧州諸国などに比べて突出して高い。なぜだろうか。(老いの工学研究所のHPに掲載したコラムを、転載しました。)
「モーレツ」は、1969年の流行語である。高度成長の只中、がむしゃらに働いた時代で、当時の年間総労働時間は約2,300時間。現在は1,800時間を切っているので、約500時間の差がある。月にすると約40時間の差であるが、昔は仕事が終わってからのノミニケーションも盛んであったので、会社に関わる時間は実際にはもっと差があるはずだ。当時は年間休日数も、今より20日ほど少ない。有給休暇の取得率を考慮すれば、1年間の休みの日数は、現在と1か月近く差があるかもしれない。このような働きぶりでは、仕事以外の趣味や関心を持つのは難しかっただろうし、滅私奉公では人生を楽しめず、人生を自分のものとして実感できなかっただろうと思う。
病院死は、病気や衰えに対して医師や家族の勧めに盲目的に従った結果であることが多い。どこでどのように死を迎えたいかについて意思を持つことなく、表明することなく、他人の判断に任せる。人生の終わり方、終末期の過ごし方を自分で決めることなく、医師や家族の言うことに従う。これはまさに、現役時代の“気楽な稼業”、意思表明や判断をしない姿勢に通じている。そうでないなら、人生への名残惜しさが原因かもしれない。意思表明や判断ができないというよりも、モーレツに働いてきた結果、まだ人生を楽しめていない、自分のために生きたという実感がないからかもしれない。
●望む場所で死ぬために
現在、現役世代の働き方は昔とかなり変わってきた。能力や成果による処遇差が大きくなり、サラリーマンも自分のキャリアを多少でも考えるようになって、ステップアップを求めて転職する人も増えた。大企業であっても浮き沈みが激しくなり、それなりの将来不安を多くの人が持つようになって、自営業ほどではないにしても、サラリーマンの“気楽さ”は低下してきている。働きぶりを見てもモーレツは死語になり、ワークライフバランスの掛け声も大きくなってきて、労働時間の短縮、休日の取得はさらに進むはずだ。
このような働き方の変化によって、次世代以降は自分の意思で物事を決められる、現役時代から人生を楽しんできた人が増えるかもしれない。「周囲に迷惑をかけたくない」といった単なる感情ではなく、具体的にこうして欲しい、これはしないで欲しいという、死に方や終末期の生き方について意思を表明できる人が増えていけば、医師や家族の勧めに盲目的に従って病院死をする人の割合は低下していくだろう。
いずれにしても、病院死の減少は制度面の改革や住宅の整備だけでなく、人生の最期のありようを自分で決められる人が増えるかどうか、そして周囲がその判断を受け入れられるかどうかにかかっているのである。
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。