いま、あらためて「夢・志」考

画像: N.Muray

2014.05.28

仕事術

いま、あらためて「夢・志」考

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

夢や志を抱けない、抱きづらい、抱くのが野暮、抱かなくても幸せ……夢・志に対しての考え方や態度は人さまざまだ。ここではあらためて考える材料を3つ提示する。



図のタテ軸は「想いの強弱度」を表わしている。夢は「願望」という漠然とした状態から「決意」「覚悟」という段階に強くなっていく。行動としては、最初は無垢な「熱中」から始まり(この段階では実現化に対する深慮はない)、次いで、現実化を考えた「模索」状態に入る。ある段階から本格的な成就活動へと進み、最後は戦いとなる。当然、自分にかかるリスク負荷も「小さい」から「大きい」へと変化していく。

図のヨコ軸は、夢を抱く意識が「閉じている」か「開いている」かである。夢には利己的なものと利他的なものと2つの性質がある。前者は「自分は何になりたい/何を手に入れたい」という意識になるし、後者であれば「世の中や他者のために、自分をどう使っていきたいか」という意識になる。


夢にはこのようにレベル差や意識差があるが、いろいろあってかまわないと思う。ただ、そんな中で、「本物の夢」というべきものはあるのではないか。夢を「本物の夢」にするのは、

―――「ルビコン川を渡る」かどうかだ。

「ルビコン川を渡る」とは、不退転の覚悟で挑戦することを言う。ルビコン川とは、ユリウス・カエサルが、政敵ポンペイウスの手に落ちたローマを奪還するために、自らの兵を率い、「賽(さい)は投げられた」と叫んで渡った川である。当時、兵軍を伴ってルビコン川を渡ることは国法で禁じられていた(つまり、カエサルは川を渡った瞬間に罪人となるのだ)。

内に抱く想いが「ルビコン川を渡る」ほどの不退転の挑戦意志となったとき、それが「本物の夢」となる。それは次の古典的表現に通じる。

事を成すための真の勇気は
(前進のために)橋をつくることではなく
(後戻りできないように)橋を壊すことである。


ちなみに私は、「本物の夢とは、不退転の明るい覚悟」と思っている。



下の図は、夢なるものをカテゴリー的に表わしたものである。



「夢」という言葉にネガティブなニュアンスがあるのは、おそらく、夢をある種の言い訳にして、ずるずると人生を過ごしてしまう人がいたり、想いが気分的に浮き沈みし、腰が引けた状態で願望をあれこれ言うだけの人がいたりして、そんな人たちを批評する気持ちから生まれているのかもしれない。

だが、夢は強弱幅広い含みをもっていてもよいもので、夢のすべてにおいて「ルビコン川」を渡るべきということでもないだろう。ルビコン川の手前で(つまり覚悟を決めない、リスクの小さい範囲で)、ささやかに抱く夢もけっして悪いものではないと思う。「手の届きそうなあこがれ」や「モラトリアム的夢想」は、世知辛い日々に、やはり希望や張りや目標を与えるものであるからだ。また「できるところからの良心」的な夢は、利他的な活動をライフワークにすることでもあり、尊い志であると思う。

とはいうものの私は、人生に一度はルビコン川を渡る挑戦を強く勧めたい。私自身、独立起業というルビコン川を渡ってほんとうによかったと思っている(いまだ奮闘は絶えないが)。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【考える材料2】
等身大の生活で十分に幸福だから、壮大な夢や志は必要ない?


受講者の中から「働くことにそんなに夢や志が必要なのですか。働く意味や価値といった高尚なことを考えなくてはいけないのですか。それより、わたしは真面目に働いて家族を養い、家庭生活を大切にしています。日常の身の丈の喜びがあるので、あえて仕事で夢を追ったり、仕事好きにならなくてもよいと考えています」といった声がよく出る。こうした問いに対し、私は次の2つの観点で自分の考えを伝えている。

1つめに、
「夢を持っていない生き方が正しいか/正しくないか」は他人にきく問題ではない。むしろ自分自身にこう問うてみたらどうか───「夢を持っていない生き方を(自分が)美しいと思うか/美しくないと思うか」と。夢や志を抱くかどうかは、あくまで自分自身の生きる美意識の問題なのだ。

2つめに、
働き方・生き方は、人それぞれのサイズがあってよい。グローバルな舞台で大きなプロジェクトに関わっていくことを選んでもよいし、一地方にしっかりと根を張り、自分の目と手の届く範囲できっちり仕事をまっとうしていくことを選んでもよい。

私たち自身が問うべきは、働く舞台のサイズではなく、働く意識が「利己に閉じているか/利他に開いているか」だ。

私は研修の中で『自分は何によって憶えられたいか』というワークをやっている。これは次のピーター・ドラッカーの書いた一節からヒントを得たものだ。───「私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。『今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ』」。 

ワークシートは次のようになっている。

  Q:私は50歳になったとき、
  「〇〇〇」によって/「〇〇〇」として、
  (周囲に・家族に・社会に)憶えられたい。


つまり、キャリアの集大成ステージに入る50代を想像して、そのときまでに自分の存在意義をどう打ち立てていたいかという長期視点でのおおいなる目的を考えるものだ。「〇〇〇」の中に自分の言葉を入れるわけだが、多くの人は手こずる。

そんな中、出てくる答えのひとつで私が耳を留めるのが───「私は“よきお父さん”として憶えられたい」だ。こういう答えは実はちらちらと発生する。

身の丈サイズの平安な生活は誰しも求めていいものである。だが、そのときに、意識が利己に閉じているか、利他に開いているかは、おおいに自問してほしい観点である。

たとえばとても子煩悩なお父さんAがいるとしよう。父Aはともかく家族と過ごす時間を少しでも多く取りたいと思っている。仕事の負荷がつらくなってくると、「ワークライフバランスが大事」というひと言で、仕事を中途半端に仕上げて済ませる。その姿勢はチームにもあまりいい影響を与えていない。その中途半端な仕事の尻ぬぐいも誰かがやっている(が、父Aはそのことを必ずしも気に留めていない)。ただ、家に帰れば、妻子にとって父Aは「すばらしいパパ」である。父Aはこの幸せな私生活を維持するために、できるだけ仕事の負担はなくしたいと考えている。

他方、たとえば中学校で教諭をやっているお父さんBがいたとしよう。父Bは勤務する学校の改革リーダーとして忙しい。担当の授業以外に、改革推進のための会議運営、PTAとの連絡、教育委員会や役所との協議・折衝などに飛び回る。あるとき父Bは、電話口で目を真っ赤にして怒鳴っていた。組織の不条理な力と戦っている姿だった。土日は監督をしている部活動の練習や試合にどっぷり付き合う。練習中にケガをした生徒が出れば、タクシーで運んだり、連日見舞いに行ったりした。また、地元のボランティア活動にも参加している。そんな忙しさの中でも、父Bは極力、自分の子どもたちと会話を楽しみ、ボランティア活動にも連れ出そうとした。子どもたちはもちろん父が家にいないことをさみしく思ったし、もっと自分たちと遊んでほしいと思った。しかし、子どもたちは大きくなるにつれ、父の背中から何かを感じるようになっていた。

「家庭的なよき父」とはどんなものだろう。べったり家族サービスする父がそれなんだろうか。子どもというものは、しっかりと父をみているもので、確かに幼いころは物理的な接触時間の量が大切かもしれない。しかし、子どもはやがて、父親を一個の職業人、市民、人間としてみるようになる。目の前の男ははたして「社会的なよき父」なのだろうかという目線を持つのだ。そのとき、あなたは子どもに対し、どんな父の姿を見せるのが“美しい”と思うか。

「子煩悩でよきパパになりたい」という思いをけっして否定するものではない。指摘したいのは、ひょっとするとその思いは、仕事という労役はできるだけ避けたい。自分が楽しめる時間がもっとほしい。利己の殻に閉じこもっていたい。そしてその解消先がたまたま子どもに向いているだけではないのか、ということだ。お受験に熱心な母親についてもそれはいえる。自分の利己的な優越感・ブランド所有欲を子どもの高学歴獲得に差し替えてはいないか。そうした利己に閉じた意識の場合、欲求のはけ先をなくすと、自己は虚無に陥る。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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