スピーチの場で必要以上に淡々と話をしたり、面談の場で自説をくどくど話したりしてはいないだろうか。「物差しはいつも聞く側にあり」ということを踏まえて振り返ってみることも必要である。
先日、某社の取締役・部門長研修のファシリテーターの仕事があった。
ファシリテーターや講師として、いつも悩ましいのは、自分の喋りを適度な量に留めることの難しさ。
自分の傾向として、2つの反省点がある。
ひとつは、少しでも分かってもらおうとして、くどくなってしまうということ。
もうすでに受講者の皆さんは分かっているのに、ついつい繰り返し繰り返ししゃべってしまう。
もうひとつは、話が長くなるということ。
スキル研修や、知識を詰め込む研修ならまだしも、僕のやっている組織風土のことや、マネジメント上のことや、管理職のコミットメントの問題は、講者同士のディスカッションや、普段取れない「自分と向き合う時間」の中での気づきが重要。
講師が滔々と述べる理屈っぽい話などは、恐らく研修後は1割も心に残ってはいないだろう。
しかし、講師というのはついつい悦に入って喋り過ぎてしまいがちなもの。
いい話をしているという自分に酔っているようでは、プロとは言えない。
「講師の話をもう少し聞きたかったのに少なかったね」でちょうどいい。
僕がどうやって気をつけているかと言えば、一緒に研修運営に携わっているアシスタントにしょっちゅうしょっちゅう確認すること。
「今の説明はくどくなかったか?」
「理屈っぽくなかったか」
「今のインストラクションは、繰り返し過ぎたかな?」
弊社の若手社員たちは、実に率直なので、ズバズバ言ってくれる。
「そうですね。確かにくどかったかも知れませんね。☆☆の部分は省略してもよかったのでは?」とか・・・
「☆☆の部分は、聞いてて分かりにくかったです」等。
実にありがたいと思う反面、時々ものすごくへこんだりしているのであるが・・。
さて、このことは、企業のトップや、管理職にとっても同じことが言えるかもしれない。
会議の最後の「課長の話」のような機会でのスピーチで、自分の話に酔って、必要以上に滔々と話していないだろうか。
あるいは、部下との一対一の面談のような機会に、本人に考えさせる時間もそこそこに、上司としての自説をこれでもかと伝えていないだろうか。
これは自分自身を振り返ってみてもいいかもしれない。
そして、できることならば、こういう問題は聞く側にモノサシがあってしかるべきなので、時々部下に確認するというのも有効な手段だと思う。
「オレの今日の話はくどくはなかったかなあ」
「分かりにくいところはなかっただろうか」 という具合に。
ただ、この方法は、部下に遠慮することなく、率直に伝えてもらえるような人間関係づくりとセットでなくては意味がないことだとは思う。
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今野 誠一
株式会社マングローブ 代表取締役社長
組織変革及びその担い手となる管理職の人材開発を強みとする「組織人事コンサルティング会社」を経営。 設立以来15年、組織変革コンサルタント、ファシリテーターとしてこれまでに約600社の組織変革に携わっている。