愛のないセックスのほうが、セックスのない愛よりマシだ、よね、きっと
どんなに仕事への情熱や愛があったとしても、仕事がなければおしまいである。だから、つべこべいわずに、目の前の仕事をしろよ、である。
「愛のない仕事のほうが、仕事のない愛よりマシだ」
だから、後輩がいる人には、このフレーズを伝えてほしい。どんなに不遇にあっても、どんなに最低な状況であっても、仕事があるということそのものが素晴らしいということを。そして、愛の有無にかかわらず軽やかに生きていく方法があるということを。
しかし、バイヤーには二種類いるように思われる。仕事への侮蔑のなかにある種の愛情が感じられる人と、仕事への愛情のなかにある種の侮蔑が感じられる人がいる。前者は、「こんな仕事くだらない」といいながら、「くだらない」がゆえに、そのくだらなさを少しでも減じるために一所懸命になるという人たち。そして、後者は、自分の仕事がたいそう立派であると信じ、自分の成果を吹聴してしまうバイヤーである。
前者は、逆説的な意味で、仕事に対し真摯に取り組むだろう。仕事はくだらない。「だからこそ」と、自分の意識を転換できるからである。それに対して、後者は、これまた逆説的ながら、仕事上の少しの変化に敏感になるだろう(給料減とか、不本意な左遷とか)。その変化に愚痴を言い、不平不満をもらすだろう。前者は、「愛のない仕事のほうが、仕事のない愛よりマシだ」と心の底で思っているがゆえに、この不況という変化を愉しめるだろう。後者は、本気でモチベーションとか愛とかいうものを仕事に求めるがゆえに、会社の些細な方向転換を許せないだろう。
私は流布している意味で、モチベーションとか愛とかいうものを論理的に否定したいわけではない。それは単純に私の趣味にすぎない。それに人間の性質はおそらく変えることができないものだろう。ただ、みんな、仕事に幻想を抱きすぎだと、私は思う。仕事に愛とモチベーションを探す試みは、ときに失敗する。「ほんとうの自分」というものに、もっともふさわしい仕事などありはしない。もともと「ほんとうの自分」なんてない。
あるのは目の前の仕事だけである。「自分さがし」ではない。「自分なくし」こそ重要なのだ。はい。仕事なんてそんなもんだから、もう愚痴なんて止めて、さっさと目の前の仕事にとりかかろう。明日の生産の調達品の納期は間に合うかな? 夢や理想より、目の前のことに注力しよう。そして、そのクールな視点こそが、逆説的な意味において、バイヤーを輝かせる近道だ、と私は思う。愛にあふれた仕事よりも、愛のない目の前の仕事のほうが100倍大切だ。
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2009.02.10
2015.01.26
未来調達研究所株式会社 取締役
大阪大学卒業後、電機メーカー、自動車メーカーで調達・購買業務に従事。未来調達研究所株式会社取締役。コスト削減のコンサルタント。『牛丼一杯の儲けは9円』(幻冬舎新書)など著書22作。