本当に子供たちの「ゆとり」を奪ったのは「ゆとり」なのか?

2007.11.28

ライフ・ソーシャル

本当に子供たちの「ゆとり」を奪ったのは「ゆとり」なのか?

金森 努
有限会社金森マーケティング事務所 取締役

日経新聞11月26日夕刊に博報堂生活総合研究所の調査結果が紹介されていた。 <ゆとり世代、ゆとりなく? 「睡眠増やしたい」トップ 「時間ない」4割超す> 何とも切実な子供たちの姿が浮かび上がってくる。しかし、いつもの「ゆとり教育」の指弾という一元的なものの見方でよいのだろうか。子供たちを本当に追い込んでいるのは何なのか。

調査は以下、子供たちの友人関係や趣味嗜好などの変化を述べているが、ゆとりがどう変化したかという部分はここまでだ。ここまでの結果を少し考えてみたい。子供たちのゆとりはどう変化したのか。

調査結果が絶対時間で示されていないので、どれぐらい実際の時間的増減があったのかではなく、あくまで子供たちの申告と意識面での変化と言うことになる。しかし、「ゆとりがなくなっている」のは明らかで、さらに主たる原因は勉強と塾通いだといえる。
しかし、子供たちはそれを厭うわけではなく、必要なこと、むしろなければ不安になるものと受け入れている。だが、10年で遊びやぼんやりするといった、純粋なゆとりの時間は確実に失われている。

上記から「子供たちの焦りとあきらめ」というキーワードが思い浮かんだ。
10年間での塾通いは3%強しか増加していないが、そこに費やされている絶対時間はどれほど増えているのだろう。
また、時間以上に、「どうしても通わなければ」という強迫観念にも似た感情の高まりがあるのではないだろうか。勉強時間全体にしてもそうだろう。

しかし、考えを進めると、子供たちの強迫観念にも似た思いはどこから発しているのかという疑問が浮かぶ。

「論理思考」を説く者としては「論理の飛躍」は避けねばならない。しかし、この調査結果に加え、偏差値世代が自らの子供に対してどのような教育を志向し施しているのかを思い起こすと忸怩たる結論に達するざるを得ない。

ゆとりがないのは親ではないだろうか。
焦燥に駆られ、子供のゆとりを奪っているのは親ではないだろうか。

教育政策の是か非かはともかく、筆者が一番気になるのは全体の中では大きな比率ではない「増やしたい時間」のうちの「ぼんやりする+9.2%」だ。
「ぼんやりする時間」こそ、「ゆとり」ではないだろうか。
「ぼんやりする時間」は、自らの学習内容を振り返り定着する時間でもあり、さらに教科書の学習を離れて己の思索を深める時間ではないのだろうか。

調査結果は、従来の説通りゆとり教育を指弾する要因となるかもしれない。しかし、その政策失敗による親の驚惶による被害は確実に子供たちの時間感覚までも変容させてしまっているということだ。
ゆとり教育の見直し論議は今後確実に深まり、是正策が講じられることだろう。
だが、親たちが今と同じ認識でさらに子供たちの時間に学習を詰め込めば、もはや息をする隙間もなくなってしまうことだろう。
ゆとり教育の見直しと、認識の変革を迫られているのは親であることを忘れないようにしたいと思った次第である。

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金森 努

有限会社金森マーケティング事務所 取締役

コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。

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