ソフトウェア・パッケージを販売するアシストには、いくつかのオリジナル・ブランド商品がある。「監査れポータル」がその一つだ。
持ち前の真面目さと熱心さで担当していたOracleデータベース製品に関して技術力を蓄えていき、それと併せて任されるお客様向けの業務もどんどん増えていった。OJTとして平沼の教育を担当し、その後データベース部門で、また、その後も、ずっと上司として平沼を見守ってきた菅藤はこう語る。
「OJTとして関わった新人の頃は、私自身の立場も変わったこともあり、それほど多くの時間を割いて指導できなかったのですが、彼の場合は課題に対して自分で工夫できる幅が大きいので少し背中を押すだけで良かったので助かりました。チャレンジ精神が旺盛な若手は多いですが、先輩の背中を見てとか、過去の実績を踏まえてといったことに留まらず、一歩先の何ができそうかを考えて取り組んでくれるので、常に期待以上の成長と成果を出してくれました。2012年からは新しいステップとして課長職を担当してもらっていますが、技術者としてだけではなく、ビジネスマンとしての期待値を与えながら、本人に考えさせつつ後輩を育成してくれています。今回のチャレンジにも期待を裏切ることなく、部下の成長とともに、彼自身も次の段階へかけ上がってくれています」。データベース技術本部統括の長となって東京に異動したため今は直接の上司ではないが、これからも応援する立場で平沼を見守っていきたい、と菅藤は言う。
データベースの分野での知見、経験を増やしながら、技術者として対応できる範囲をもっと広げていきたいという思いを持ち始めた頃、監査れポータルの発案者である重松から平沼に声がかかる。入社して7年目だった。
監査れポータルのベータ版はほぼ完成したが、それを実装する技術者にはデータベースの知識が不可欠であり、その知識を持つ平沼に白羽の矢が当たったのだ。
「重松さんとは、それまで、所属部署は違いましたがお客様の案件でご一緒したこともあり、データベース部門で学べないこともご指導いただいていました。お声がけをいただいたときはこれまでの技術力を活かしながら、新しいことが経験できると思い嬉しかったです。すぐに菅藤さんに相談し、チャレンジしたいという思いを伝えたところ、すんなりと受け入れていただき、さらに背中を押していただけました。これにより、データベース部門から監査れポータルを企画したソリューション技術部への異動が決まりました」
本社からではなく、西日本支社からのオリジナル・ブランドの商品の立ち上げとなると、ベータ版が完成していたとはいえ、様々な業務が一筋縄でいくことはなかった。平沼にとっても、そしてアシストの西日本支社にとっても前例のないことだらけだったからだ。
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