大人社会から失われつつあり、一方で、子ども達に見せなければいけない一番たいせつな姿勢ー それは「堂々としていること」だと思っています。 秋巡業の白鵬関、すばらしい態度を見せてくれたようです。
スポーツ誌『Number』の691号。
巻末に、新時津風親方に就任した、先場所まで関取だった時津海の記事が掲載されていました。
その記事中で、土浦市で行われた秋巡業の1コマが紹介されています。
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超満員の、今や貴重な観客を前に横綱白鵬が本来の「かわいがり」を披露した。隣町の牛久市出身の稀勢の里を指名し、10番連続で相撲を取った直後にぶつかり稽古を開始した。当たりを受け止め、容赦なく何度も土俵に転がし、土俵下に落とし、お尻にキックも3発。さらに顔に2度水をかけて闘志をあおって、約6分間にわたり厳しく稽古をつけた。
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「かわいがり」に対する目が冷ややかなことも予想される中、なんたる堂々とした態度でしょうか。
それが観客の目にもわかります。
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時太山が30分にも及ぶ「かわいがり」の直後に急死し、世間の厳しい目もある中、相撲愛に満ちた正真正銘の荒稽古を見せたのだ。観客からは惜しみない拍手が送られた。
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ほんとに素敵な記事ですね。
「表面だけ」「一部だけ」で判断する人、日本にはまだまだ相当数います。
それも、自分に不都合があったときだけ「表面だけ」「一部だけ」を取り上げ、その行為を批判する、残念な方が。
悪いことをした子にちょっとゲンコツしただけで、子どもの親が「体罰だ!」と批判する例など、まさにそれにあたります。
もちろん、「怒り」の感情を肉体的に表現したゲンコツは、単なる体罰に過ぎませんし、子どもへの負荷も必要以上に大きいものでしょうが、「叱る」ときの表現方法として、子どもが「痛い」と感じる程度のゲンコツ、それは愛情表現の裏返しでしょう。
周りでいくら、「体罰」という言葉がおどっていても、自分が「体罰」のつもりでやっているのではない自信があれば、堂々と行使すること。
そういう行為に対しては、きっと周りからも賛同の声もあがるのではないでしょうか。
「ちょっと違うな」というシチュエーションは、「陰で隠れて」「見られたくないような場所で」やること。
自分の中では“「体罰」のつもりでやっているのではない、子どもへの愛情表現だ、だけど見られたら何を言われるか…(だからなるべく見られないところでやろう)”と思った段階で、「堂々と行使」ではなく、「隠れて行使」か、あるいは「やらない」という選択肢に逃げてしまいます。
そうなると、結果として現れる行為は、自分が「体罰のつもりではない」と思っていても「体罰」になっており、賛同の声も現れることはないでしょう。
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