地球温暖化や省エネのために始まった夏期の軽装化は、福島原子力発電所事故などの影響による電力不足もあり、オフィスでのノーネクタイ姿が定着してきたようである。
「マネジメント分科会では、アシスト初の「360度評価」をeラーニングで実施しました。部下が上司を評価するという試みです。また、組織戦略分科会では2003年2期組織のたたき台を作成しました。当時のメールを見返すと、赤字になったアシストをどう変えてくかを真剣に考え、実行しようとしていたことを思い出し、目頭が熱くなります」、と照れ屋の沓掛は冗談めかして言うが、そのたたき台が採用されてアシストが事業部制組織に変わったことは、このプロジェクトに参加した若手メンバーのモチベーションを大きく上げた。
そして2007年には、今後5年、10年、さらにもっと先のアシストの向かうべき姿を社員の立場から議論し、結果を経営層に提案することを、関東地区だけでなく全国規模で行った。
「先の長い20代、30代の若手社員がこれからもアシストで働いていく上で、何を、どのように変えていけばよいのかという現場の声を具体的にまとめて経営層に提出しました。ここから社員の行動規範である『アシストセブンハート』も生まれましたし、人的交流を通じて他部署の組織や業務を理解するために、試験的に1週間の社内留学を実施する『人事ろーしょん』という試みも行いました。リーマンショックなどがあって費用のかかるプロジェクトは自然消滅してしまいましたが、それでも経営層と若手社員が定期的に対話を持てる場が得られたことはとてもよかったと思います」
共にプロジェクトに参加した林は、沓掛についてこう語る。
「沓掛さんとは2002年のニサン企画から全社プロジェクトでご一緒させていただきましたが、常に感じるのは『この人は不可能を可能にできる』という雰囲気を持っていることです。またそれが単なる雰囲気に終わらず結果を出していることが、沓掛さんの凄さを物語っていると思っています。きっとこの人は、今回のプロジェクトでもしっかり結果を残すだろうと。そんな人からプロジェクトに誘われたら、断る理由なんてどこにもありませんよね」
沓掛がアシストに入社を決めた理由は、大企業ではないが独立系の専門商社であったこと、女性が活躍していたこと、そして創業者のビル・トッテンに魅力を感じたことだという。
「入社して、本当に人を大切にしている会社だということを実感しています。そして、常に物事をお客様第一で考えていること。その一方で、方向性が見えても、それを実行に移すのに時間がかかる、切り替わりが遅い、と感じることも多くありました。特別プロジェクトのような機会があれば率先して参加しているのはそのためです。変化のプロモーターとしてミーティングを通して色々な意見をまとめて新しいモノ(考え)が出てきた時、または自分の思ったとおり、もしくはそれ以上にうまく物事が進んだ時などは、本当に楽しいです」と沓掛は語る。
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