日本民族のコンピテンシーは手先の器用さ・繊細な感覚である。日本はその能力を生かしハード的に優れたモノをつくってきたが、形状・性能・価格といった「form」次元だけで戦うのは難しい時代に入った。「form」を超えて、どう「essence」次元にさかのぼっていくか、そしてそのためにどう「曖昧に考える力」を養うか───次のステージはそこにある。
しかしそれと引き換えに、着想と試作の往復運動はどことなく機械的に硬直化してしまう。そこからは突拍子もなく独創的であるとか、パラダイムを変えるようなエポックメーキングなものが出づらくなる。「品質はいいけど、面白みがないね」と言われる日本の製品の多くはこの回路の中にはまっている。
アップルが大組織にもかかわらずその硬直化を免れているのは、スティーブ・ジョブズ氏のいい意味での変人ぶりと、コンセンサスを得ることの困難を恐れず、曖昧さ次元を漂う思考を楽しもうとする組織文化があるからだ。そしてまた、ジョブズ氏の無理難題な夢想に技術が試作で応えようとする強靭さもある。
市場や店頭には、日々さまざまに具体的な商品が現れてくる。また、新聞や雑誌、業界紙などにもそれらの情報が溢れる。しかし、すでに誰かが形にしたものに振り回され、他社の成功物語に浮足立つより、私たちにはやるべきもっと大事なことがある。それは一生活者に立ち返って、自分のなかに曖昧とある想いや願望、意味や価値の芯が何であるかに考えを巡らせることだ。「form」の次元に拘泥せず、「essence」の次元に上がっていくこと―――これが日本のものづくりに課せられた問題である。そしてそれは突き詰めれば、1人1人の働き手が「曖昧に考える力」を養い、個として局面を突破できる独自で強いアイデアを出せるようになるかという教育、あるいは組織文化の問題となる。
◆思考ツールの簡便さが思考力を弱めている
「form」次元に思考が留まっているのは、何も携帯端末機メーカーだけの話ではない。広く私たち1人1人のビジネスパーソンの思考もそうなってしまっているきらいがある。明瞭に物事をとらえ、整理し、説得するためにロジカルシンキングやフレームワーク思考の習得が花盛りである。確かにこれらは有益なスキルではある。
しかし私が企業の研修現場で、そして大学院のMBA(経営学修士)課程で少なからず目にするのは、それらが簡便なツールと化し、もはやその型や枠に物事を流し込むことで何かを考えた気になったり、その行為自体が目的になったりしている風景だ。まさにこれは思考の型や枠といった「form」に留まっている姿である。
私たちは物事を「的確に合理的に考えるため」にロジカルシンキングやフレームワーク思考を取り入れている。しかし、実際は「ラクで能率的に考えるため」にすり替わっていることが多い。評論家の小林秀雄はその点をこう喝破する―――「能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いをしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。(中略)考えれば考えるほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、極めて正常な事である。だが、これは能率的に考えている人には異常な事だろう」(『人生の鍛錬』新潮社より)。
考える手間を省くことを習慣化すると、頭はやがて形式化され単純化された情報しか処理できなくなる。昨今の若年層社員についてしばしば指摘される個別具体的に記述された文章しか読めない、マニュアル化されないと行動ができないといった傾向はこのことと無関係ではない。
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2009.02.10
2015.01.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。