教育コンサルタントとして、学校理事として、ある私立学校の学校改革に携わっています。教師の資質を考えさせられる、こんな事件に遭遇しました。
私は教育コンサルタントという立場で外部から、また学校理事という立場で内部から学校改革に携わっています。
この二つの視点をもって学校改革に携わって日々感じるのは、学校をより良くするには、生徒に関する全ての問題を学校が引き受ける覚悟を持って生徒指導に立ち向かわなくては駄目だということです。
たとえば、私が関係している私立学校で、こんなことがありました。
高校2年の男子が素行不良で謹慎となりました。謹慎といっても、自宅謹慎でなく、学校内謹慎です。クラスメイトといっしょに授業は受けられませんが、学校には毎日、登校して、別室で、一人で自習をしたり、反省文を書いたりします。学校内謹慎の場合、通常よりも早い時間に登校しなくてはなりません。彼は他の生徒よりずっと早く、7時10分までに、毎日、登校してきました。
ところが、5日目のことです。生徒は遅刻をしてしまいました。学校に到着したのは7時20分、10分の遅刻です。理由を尋ねてみると、腹痛だったとのことでした。その日の朝は、お腹が痛くて、いつもどおりに自宅を出られなかったと言うのです。
さて、問題にしたいのは、この生徒ではありません。生徒の担任の先生です。
担任は「謹慎中に遅刻するとは何事か!」ということで、生徒を退学にすべきであると主張しました。
「約束を守れないようではダメだ!」と。
いかがでしょうか。確かに、謹慎という処置になったのは、生徒の素行に原因がありました。学校謹慎中であるのに遅刻した失態も、咎められるべきでしょう。
しかし、です。生徒は休むことなく、10分遅れでもちゃんと学校にやってきました。遅刻の理由もしっかりあります。
「約束を守らなければダメ」というのは、よく分かります。でも、これは「建前」ですよね。だって、私たち大人は、現実には、「約束を守れないこともある」ということをよく知っていますから。
先生の態度としては、腹痛の中、それでも10分遅れで登校してきた生徒には「お腹が痛いのに、よくこんなに早く来られたな」と声をかけることだってできたはずです。
「建前」の指導が悪いとは言いません。しかし、指導が生徒の心に届き、生徒が行動を改善しなければ、何の意味もありません。「約束を守らないのは当たり前」そんなスタート地点からはじまる、個々の学校の実態に則した指導(=本音の指導)があっていいのではないでしょうか。
「建前」ばかり語る指導では、生徒はついてこないのです。
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2015.07.17
2009.10.31
合資会社 マネジメント・ブレイン・アソシエイツ 代表
1961年、神奈川県横浜市生まれ。 現在、合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表。 NPO法人 ピースコミュニケーション研究所理事長。