今月1日からシーズン入りしている「赤い羽根共同募金」。 初日は都内も通勤時間に、課外活動の高校生を中心とした募金を呼び掛ける声が響いた。 が、そのタイミングを外してしまったら、中々募金活動の姿を見ない。昔は年末までの期間中、何度も街頭で声をかけられたものだ。募る側も暇ではないということか。 だが、こんな状況では募金総額が減りはしないかと、いらぬ世話を考えていたら、やはり減っているようだ。
募金総額は「95年の約266億をピークに減り、昨年は約220億」と、過日、読売新聞が報じていた。
同記事では赤い羽根の来歴も紹介されていた。
「米国で1928年に始まり、先住民族が勇者の頭に赤く染めた鳥の羽根をつけたことから勇気や善行のシンボルとして採用された」とある。
なるほど、赤い羽根は募金転じて勇気と善行のシンボルか。
だが、80年前ならいざ知らず、この多様化した世の中で誰も彼もが胸に赤い羽根を付けて歩いているのはどうにも抵抗がある。人知らず、密かに募金した方がいいのでは?と思う。
が、思っていたら、週刊文春に気になるコラムを発見。
「赤い羽根をしていないのは誰だ」。
10月1日と3日の国会で各議員の赤い羽根着用状況をチェックしていた。
チェックされると、「勇気と善行のシンボル」というより「免罪符」のような、半ば強制力を感じてしまう。募金総額の落ち込みも、そうした感触が嫌われはじめている証かもしれない。
だが、「福祉施設の備品購入」「ボランティア活動支援」という募金活動の主旨には賛成だ。
なら、賛同者はその意思を表明し、運動を盛り上げるために、赤い羽根を着用せよと言われるのだろうな。
いやだな。
何がイヤかって、着色した鶏の羽根を胸に着けるのはオシャレに感じないから。赤い小物は大好きなのだが。
募金、1円からOK。一律赤い羽根。・・・ではなく、もう少し工夫はできないだろうか?
募金500円以上でピンズ進呈。
募金2500円以上でラペルピン進呈とか。
さらに、かつてタバコのプロモーションでよく行われた「セルリキ方式」。赤い羽根10枚と募金3000円で、もれなく、豪華○○○を進呈とか。
気の効いたプレミアムの提案なら、広告代理店が喜んでやってくれるのに。
とにかく、募金総額が減ったと歎くより、誰が羽根を着けている、いないと騒ぐより、まずはもう少し工夫してみるべきだと考えた次第だ。
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2007.11.07
2007.11.09
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。