坂口安吾が『堕落論』を発表したのは終戦直後。「半年のうちに世相は変った」で書き出されたエッセイは、当時の若者たちから絶大な支持を得た。
昭和21年4月の『新潮』に発表されたそのエッセイに書かれた「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ」等のメッセージは、敗戦直後で揺れる国民に、新しい指標を示した。
日本政府は、復興庁を設立し、 その復興大臣に仙石氏を起用するという。一括して被災地域のサポートができるような組織が行政機関に必要だ。関東大震災後には、「帝都復興院」が。阪神淡路大震災の時には、「阪神・淡路復興対策本部」が旧総理府に置かれた。それらに負けじと、ぜひ、フル活動していただきたいと願う。
しかし、東京電力を恫喝したり、俺を誰だと思っていると言ってしまう政治家の皆さんが統括する「復興策」が、真の国民の復興策になるとは思えない。坂口安吾は、『堕落論』の中で、こんなことも言っている。「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と。
平成23年3月11日。東日本大震災を経験してしまった日本人にとって
「1日のうちに世相は変わった」
。私達国民や政治家の皆さんは、いま『堕落論』から学ぶべきものがあるはずだ。昨日まで「天皇陛下万歳」と叫び、お国のために戦っていた国民のすべてが、終戦を告げる玉音放送を機に、依って立つ足場をなくした。その国民に向かって坂口安吾は・・・
「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに 群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。偉大な破壊、その驚くべき 愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫のような虚しい幻影にすぎないという気持がする」とメッセージする。
「堕落」とは、戦争自体の悲惨さや虚しさを言うのではなく、「平凡さ」や「平凡な当然さ」のことを言っているのだ。前述の、「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」の前には、「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」と書かれている。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。