スキャンダル、悪口、揶揄…そんなものばかり取り上げて、語って、どうするんでしょうか。 また、「いわゆる耳にいい活動」ばかり取り上げて、語って、どうするんでしょうか。 これからは正義の話をしよう。 そんな社会がきっとハッピーだから。
誤解を恐れずに言うならば、「正義っぽいこと」…代表例が「(表面的な)ボランティア」、などを過剰に語るのも、不義です。
誰しもわかる話「ではない話」で、自分が「正義」と信じるものを、もっと声高に語っていきませんか?ということ、なんです。
既得概念を捨て、新しい概念を取り入れた上で新しい仕組みにするのは、正直大変です。
しかし、その大変なことをしながら、笑っていられる社会でなければ、真の幸せはつかめません。
そんな思いで僕は、ツイッターでも、「毎日1同言」として、つぶやいています。
「大人が明るく前向きに、働くことを楽しんでいる(=何も考えないのではなく、不安と対峙し少しずつ解決することで未来を作っていく)姿を見せるのが、子どもたちへの一番の教育だと思っています。何かを“教える”より、ずっと」
これからは正義の話をしよう。
不義の話の、何百倍も、何千倍も。
教育に生きる自分も、常に意識しておきたいと思います。
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