ミドルマネジャーたちは日々、上へ下へとコミュニケーションを盛んに行う。部下への指示・命令、会議での討論、外部との折衝、上への根回し、会話・雑談などなど。……しかし、彼らは最も重要な何かを避けてはいないだろうか?
……私もサラリーマンを辞めたときは、ある大きな企業の中間管理職をやっていました。中間管理職というのは、組織の中で実に雑多な情報が行き交うポジションであり、またそれらを適切に処理し、部署を動かさなくてはならない役目にあります。したがって、部課長は日々大量のコミュニケーションを行っています。書類のやりとり、電話・メールのやりとり、会議での発表や討論、取引契約の交渉、接客での説明やプレゼンテーション、仕事合間の世間話など。
さて、そこで振り返ってみるとどうでしょう、その中で「対話」という形式を使ったコミュニケーションがどれくらいあるか?―――ほとんどないことに気がつくでしょう。社内で行われるほとんどは、 「指示・命令系」もしくは「議事系(会議・討議)」のコミュニケーションです。あと「渉外系(商談・折衝)」「雑談系」があって、そして稀に「対話系」が混じってくるという具合です。
部長・課長が自分の部下に対して、思索や啓発を促す対話を行ったのはいつのことでしょうか? 一週間前? 半年前? 一年前? それともその類のことはやったことがない? もっとも、対話であると思っていたものは、一方的なお説教であったり、単なるガス抜きの談話であったりする可能性もあります。
◆対話とは「1+1=3」の共創作業である
いま組織内で対話が決定的に欠乏しています。そして何についての対話が欠乏しているかといえば「仕事とは何か?」という万人の働き手が持つ大きな問いに対する対話です。
「仕事とは何か?」という問いには、働く目的とは何か? 企業も個人も結局は利益・給料のために働くのか? どうすれば働きがいが見出せるのか? 同じ仕事をやっても労役と感じる人間と朗働と感じる人間と差が出るのはなぜか? 仕事の最良の報酬とは何か? 会社と個人は主従関係なのか? 自律的に働くとは具体的にどういうことか? などさまざまな内容を含みます。
もちろんこうした問いに決まり切った正解値はありません。変化が激しく、常に数値目標が覆いかぶさるビジネス社会にあって私たちがしなければならないのは、こうした問いに対し、動機の湧いてくる解釈、状況を切り拓く自律性、変化に押し流されないための観をつくり出していくことです。そして、それは対話によってこそ可能になるのです。
対話とは、双方が真摯に心を開き、意見や観を交換し、「1+1=3」という新しい次元にたどり着こうとする共創作業です。その意味で、漫然と話を交わす会話とは異なります。対話とは、上司は経験から獲得した「1」を差し出し、部下は未熟ではあるが熱のある「1」を差し出し、そこから「3」を生み出す意欲的なチャレンジです。
組織はいくら立派な戦略を立てても、その戦略意義を対話を通して一人一人の働き手に咀嚼させないかぎり、その戦略は有効に実行されません。そればかりか逆に、ますます現場を疲弊させることを招きます。また、組織がいくら立派な理念を標榜したとしても、その理念を対話を通して一人一人の働き手に共感してもらわなければ、単なるお題目に終わってしまうでしょう。さらに、組織はとても立派な制度改革をやりますが、その導入目的を対話を通して一人一人の働き手に納得してもらわなければ、「仏作って魂入れず」となり制度だけが空回りします。
次のページ ◆なぜ部課長は対話を起こさないのか
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【部課長の対話力】
2010.08.23
2010.08.17
2010.08.10
2010.08.04
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。