氷点下の温度帯(-2℃から0℃)の『アサヒスーパードライ』を飲めるバーが銀座にオープンした。それは「ビール離れ」といわれる若者向けの取り組みだという。
■ビール修行と憧れの崩壊
斯様に、いっぱしのビール飲みになるには「修行」がいる。
しかし、昨今、ムリに勧めれば「アルハラ(アルコールハラスメント)」と指弾される。(確かにムリはよくない!)かつて自分が受けたような「指導」などはできない。また、めっきり世代を超えた飲みの機会も減少している。
指導や修行だけではない。ビールを飲むということは、ある種の「あこがれ」に背中を押されて、自主的に手を伸ばす(自習?自主練習?)ことも少なくない。しかし、昨今の若者に、ビールを「飲んでみたい!」と手を伸ばす動機は起きているだろうか。飲んでちょっと苦いように感じても「みんな、あんなに美味しそうに飲んでいるんだから、きっと自分が間違いなんだ!」と自己催眠にかけてさらに手を伸ばしてみたくなるだろうか。
そう。「苦い」と思っても、「これがオトナの味なんだ」と「修行」する動機が起きないのではないだろうか。ムリに苦さを我慢して「オトナ」になろうと思うほど、昨今の若者には「オトナ」の姿は憧れるほど魅力的に映っていないだろうから。そうして、「ビール修行」の伝統文化は崩壊していったのだ。
■アサヒビールが開けていた「パンドラの箱」
0℃のスーパードライは、味よりものど越しが強調される温度。その「味わい」にフォーカスしてみれば、そのスッキリ加減は「新ジャンル」を想起させないだろうか。
長引くデフレ不況は、居酒屋の景色をすっかり一変してしまった。280円や380円の低価格均一価格居酒屋の隆盛である。それらの店で出されるのは、仕入れ値の安い「第3のビール」などの「新ジャンル」が多い。
アサヒビールは、新ジャンルが主力のスーパードライを侵食しないように、長く飲食店向けの「樽生」はスーパードライだけに特化し、新ジャンルを封印していた。しかし、大勢には逆らえず、新ジャンルの「クリアアサヒ」を苦渋の果てに解禁している。
0℃のスーパードライを体験した若者のみならず、オジサンが、そののど越しを楽しんだ後に、通常温度のスーパードライに移行したり、戻ったりするだろうかという不安がよぎる。確かに0℃のスーパードライは美味いだろう。しかし、その後、「やっぱり、安い第3のビールで十分じゃないか?」と思われないかと考えるのは穿ちすぎだろうか?
■「モノ」ではなく「コト」としてのビール
では、『アサヒスーパードライ エクストラコールドBAR』は成果を期待できないのかといえば、全くそんなことはないだろう。
ビールを飲むということは、単に「アルコールを摂取する」「酔っ払う」ためではない。まして、外食で飲用するということは、単に「モノ」としてビールを求めるのではなく、楽しい「コト」として対価を払っているのだ。
ビールは単に「のどの渇きを癒す」ための「モノ」ではない。「楽しいコト」の「触媒」である場合が多い。0℃のスーパードライにびっくりすることは、楽しいコトに他ならない。
ビールの飲用は「文化」である。若者に「文化」を伝え、さらにはオジサンにも、価格に変えがたい「楽しいコト」を思い出させるために、『アサヒスーパードライ エクストラコールドBAR』には大いに期待したいところだ。
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2015.07.10
2015.07.24
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。