広瀬さんといえば、軽快な曲を伸びやかに歌い上げるハイトーンボイスを連想する人も多いだろう。実は広瀬さんは5歳から音楽の英才教育を受け、国立音楽大学卒業というクラシック畑の出身。その彼女が、ポップス歌手として活躍するに至った事情とは……? [嶋田淑之,Business Media 誠]
広瀬香美さんは、1992年7月、アルバム「Bingo!」で、日本の音楽シーンにデビューした。同年12月、ファーストシングル「愛があれば大丈夫」をリリース。これは上述のように、辛かった中学時代に井尻の交差点で書いた思い出深い曲である。
そして、セカンドシングル「二人のBirthday」(93年5月)に続いて出した「ロマンスの神様」(アルペンCMソング、93年12月)が実に170万枚を超える大ヒットを記録する。
「そのときロサンゼルスに住んでいたんですが、『ロマンスの神様』がオリコンのヒットチャートで1位になったというファックスがある朝、来たんですね。でも、『まさか!』と取り合わずに日々過ごしていたら、その後も続々と『オリコン1位』のファックスが入ってきたんですよ」
それだけの大ヒットを記録すれば当然のことながら、日本で歌うことを期待される。「日本でプロモーションをやってくれないかって言われたんですが、(自分には自分の確固とした目標があるので)極力アメリカに残って活動を続けました」。
広瀬さんのそうした思いとは別に、彼女の出す曲は、その後もヒットし続ける。「幸せをつかみたい」(94年12月)、「ゲレンデがとけるほど恋したい」(95年12月)、「promise」(97年11月)などなど……。
「ヒットしてから改めてボイトレをやったりして、“歌手”としてやっていきましたが、本当にこれで良いのかと自分自身、問い直してみたんです。そして、デビュー10年目に初めて全国ツアーをやり、それでいったん終わりにしました」(筆者註:2001年12月~2002年2月、「Alpen Presents 広瀬香美 Winter Collection2001-2002」、全国8会場8公演)
作曲家として、そして教育者として:
以降、広瀬さんは、それまで同様、ロサンゼルスを拠点にしつつ、作曲活動に力を入れてゆく。曲を提供したアーティストの数は多い。 SILVA(02年)、PaniCrew(02年)、島谷ひとみ(02、03年)、未来-MIKU-(02、03年)、福田沙紀(05年)、安倍なつみ(06年)、タイナカサチ(08年)、上戸彩(09年)、はるな愛(09年)、misono(09年)などなど……。
また、テレビドラマやミュージカルの音楽監督、映画の音楽プロデュースなども手がけた。2004年11月、新曲「日付変更線」を出したのを機に、 3年ぶりに歌手活動を再開。そして2007年からは連年、全国ツアーを実施するなど、最近は“歌手”としての活動も活発になってきている。
次のページマイケル・ジャクソンの死、そして未来に向けて
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
広瀬香美
2010.01.18
2010.01.13
2010.01.05
2009.12.28