もろもろの格差の問題を、どれだけマクロ観点で正確に論じようと、個々の人間の自己蘇生力を強めるわけではない。一人一人の「想う力・志す力」に焦点を当てなければならない。
「20歳の顔は、自然の贈り物。
50歳の顔は、あなたの功績」。
私は研修・講演などでこの言葉をよく紹介しているが、
これとともに、次のことを言い加えている。
28歳までのキャリアは“勢い”。
29歳からのキャリアは“意志”。
そして、50歳でのキャリアは、あなたの“人生の作品”。
人生の作品とは、仕事の実績や経験などはもちろん、
あなた自身の人格や福徳、人脈、忘れ得ぬ今生の思い出などを含めて考えたい。
私も40代後半を迎え、自分自身や周辺を見るにつけ、また、
ビジネス雑誌記者として七年間、さまざまな経営人やビジネスパーソンを取材してきて、
ほんとうにキャリア・人生というものは、10年・20年という単位をかけて、
その人の“意志”(イシの字は、“意思”ではなく“意志”という志を当てるほう)が
如実に表われてくるのだなと確信できる昨今である。
それは例えば同窓会などで容易に観察できる。
小学校にせよ、中学高校にせよ、大学にせよ、
卒業するときは、おおよそドングリの背比べだった同級生たちが、
今や、キャリアの悲喜こもごも、人生スケールの大小こもごもの差がついている。
注)
私が観察するのは、経済的な成功(暮らしが豊かそうか否か)というこもごもではない。
その歳になって、
どれだけ満足の仕事・意味を感じられる仕事に就けているのか、というこもごも、
どれだけの広さ・高さの景色で日々を送っているか、というこもごも―――
である。
こうした中長期をかけて表れるキャリア・人生の「こもごも」、
つまり多様な(質的)差異、人生の作品の差異はどこから生まれてくるのか?
本人の能力差? 家庭の経済力の差?
たまたま就職した会社の差? もろもろの機会の差?
それとも性格の差? 運の差? 育ちの差? 容姿の差?・・・
どれも一因であるには違いないが、
私はそれらはむしろ二次的なものだと思っている。
私が考える大本の要因は、意欲の差、もっと表現を加えれば「志力」の差である。
(現代日本のような、ある意味まともな仕組みで動いている平時の社会においては)
志力さえあれば、たとえ自分が先天的に
能力的、機会的、環境的に多少ハンディキャップを負った状況だったとしても、
後天的な意志的努力によって、10年、20年をかけ、
それを補って余りあるほどに自身のキャリアを発展させていくことができる
―――私は強くそう思う。
志力とは、自分の内に志を育む力、そして志から得る前進力をいう。
志力とは、欲望の一種だが、反応的ではなく、意志的なものをいう。
(つまり外的な刺激で明滅するものではなく、環境に左右されず内面に湧き続ける意欲)
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【志力格差の時代】
2010.02.01
2010.01.17
2009.12.28
2009.12.08
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。