『機動戦士ガンダム』の監督として知られる富野由悠季氏が7月7日、東京・有楽町の日本外国特派員協会に登場、自らの半生や映画哲学などについての講演と質疑応答を行った。後半では質疑応答の内容を詳しくお伝えする。[堀内彰宏,Business Media 誠]
(同じニュータイプでも)アムロはガンダムしか操縦できませんでしたが、我々はエネルギーがなくなった地球でも1万年生きのびることができるかもしれない。人にはそういう可能性はあるのではないかというシンボルに(ニュータイプは)なりうるのではないか、ということが僕の中にあるこの1年間のニュータイプ論です。
今までこのように言葉にすることができなかったのですが、視聴者が「何かそういうものがあるのではないか」という期待を込められるものであったために、ガンダムは30年間生き続けてたと思っています。そのため、先ほど名前を挙げられたようなほかのタイトルとは実を言うと基準が違うんです。(エヴァンゲリオンやマクロスと)比べるな!!
自分の想像力がなかったということで、本当に反省してもいるのですが、今回お台場にできたガンダムを見て、とてもビックリしています。力を感じました。その力は何かと言うと、おもちゃカラーの持っているピースフルなカラーリングは、21世紀の我々にとって絶望するなという色で、兵器の姿ではないんだということを思い知らされたのです。僕はこれは想像しませんでした。「プラスチックモデルの1分の1(原寸大モデル)ができたらみっともないだろう」という嫌悪感しかなかったのです。
あのおもちゃカラーは、子どもたちが好きなカラーです。あの色の組み合わせが持っているものは、恐らく大人が考えているようなしゃらくさい政治論とか経済論を乗り越えているのです。だから、あの上に立った新しいコンセプトというものを我々が手に入れることができれば、絶対に人類は1万年生きのびられると思っているのです。しかし大人の知見で、今の日本の国家のバカどもが言っているようなレベルで物事をやっていけば、「お前ら、日本国家100年持たねえぞ」「そろそろそういうことを分かれ」ということです。
別の言い方をすると、「国立メディア芸術総合センター」みたいなことを言っている政治家たちはあのおもちゃカラーをダシにして117億円を使って平気なんです。来年の維持費のことは考えていないのです。
ただ、「おもちゃカラーはそういうものを乗り越える何かを持っている」という意味では、僕は新しい“自由の女神像”になるのではないかと思っています。その自由の女神像という言葉は実を言うと僕の言葉でありません。ある人が3カ月前、僕をなぐさめてくれました。「絶対に自由の女神像になるよ。だからそんなに自己卑下するな」と。そういう言葉をかけてくれる日本人が身近にいるということも、自分にとっては今になってみるととても誇らしいことだと思っています。だから言うんです、「ほかのアニメと比べるな」と。ただのアニメじゃないんです。ただのロボットものじゃないんです。ガンダムってかなりすごいんですよ。
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富野由悠季氏、アニメを語る
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