記事の盗用…やりたきゃやれば?
もう1つ。「記者になる」という職業選択を選ぶ場合、
「モノを書くのが好きだ」
という、職業そのものについての「嗜好」が、他の業種・職種より影響していることが多いと思うんですよね。
盗用するということは、モノを書かない、つまり、「好きなこと」を捨てること。
そんな「好きでもない」仕事をやっていて、楽しいの?と問いたい。
僕からみると、不幸な人だなあ、以外に映りませんもん。
だから、
「盗用したけりゃすりゃいいじゃん」
と感覚的に思っちゃうわけです。
ほとんど毎日ブログを書いている僕ですし、毎日多くの人が見に来てくれるようになったので、「わーかかなきゃー」のようなプレッシャーもゼロではないですよ。
だけど、盗用しようなんてかけらも思いません。
そんな内容で世の中に文章を出しても、つまらない上に、「盗用することによって得られる一時の満足感・具体的な利益」なんて全然ないと思いますもん。
「コラムを出し続けなければいけない」という強制感に負け、この記者、盗用したのでしょうけど…
自分自身で冷静に考えてみて欲しいんですよね、何の得があるの?こんなこと、って。
記者、というか、毎日モノを書いている人間の感覚で、なーんも得しない、って、わかると思うんですけどね…。
それよりも「今日のコラムは何も思いつきませんでした」から「コラムを書けないこと」について思いをめぐらせて、コラムを書く、なんて楽しく考えればいいのでは。
その日のある事件について、他社に負けないよう、必ずコラムの題材にしなければいけない、なんて考えるのではなくて。
最後に。
僕のブログは著作権法でいうところの「引用」で紹介していただくのが、もちろん一番嬉しいです。
けれど、盗用されてその人の文章として出されても嬉しいです。
自分のものの見方・考え方が1人でも多くの人に伝わるキッカケが与えられる、なんて、教育に携わっている自分として、嬉しい事にはかわりないですからね。
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