クセの強い役者と極彩色の世界感で、どこまで子供向けのストーリーをオトナ向けに演出できるのか。天才といわれる中島監督の手腕やいかに・・・。と少し醒めた興味で観はじめたが、途中で「これって、何年かに1本の傑作じゃないか?」と思った。その傑作たる理由は・・・。
ものごとは中途半端がよくない。
例えば、「愛している」って言う時。妙に照れながらだと、言われた方は本気かどうか、よくわからなかったりする。うれしさも半減だ。これで古今東西、いったいどれほどの恋人たちが、真実の愛に気付かずに悲しい結末を迎えたことか。・・・ちょっと例えが極端すぎだろうか。
この映画は恐ろしいほど極端だ。全く中途半端なところがない。
中島監督は「ど派手でベタな演出が持ち味」と評する人も多いけれど、過去の作品の中でもこの映画はとりわけ極端だろう。演技力のある個性派俳優たちが、これでもかとベタベタな演出にのって全力で演技する。大道具、小道具、衣装も目がチカチカするほどの極彩色で目を直撃し、脳裏に焼き付く。
この映画のキャッチコピーは「子どもが大人に、読んであげたい物語」であった。
「絵本を読んでいる時、子供たちの心の中はこんなにも華やかな世界が広がっているんだ。かつて子供だった大人も思い出して」という中島監督のメッセージなのだろうか。
極端にさは「誇張」以上に、「夾雑物を排除する」という効果がある。
見せたいところをアピールするためには、余分な部分をどんどん削っていかねばならない。削って削って、最後に残った部分を思い切りふくらませる。そうすることによって、より良く人に伝わり、印象に残る。
プロミネンス(prominence)という概念が日本語にはあまりないように思う。「際立たせ」とでも言えばいいのだろうか。ビジネスにおいても、言いたいことを際立たせ、相手の印象に残すということは極めて重要だ。この「中途半端を排した極端さ」には学ぶべきものがあるだろう。
もう一つ、この映画で印象的だったのが、登場人物のセリフ。
この映画の見所は傲慢だが孤独な老人・大貫(役所広司)と、1日で記憶を失ってしまう少女パコ(アヤカ・ウィルソン)のピュアな心の触れ合いだ。大貫は少女への憐憫と自らの孤独を癒やすため、自らを少女の記憶を留めさせようとする。不器用な接し方ながら、毎日少女のために絵本を読んで聞かせたり、少女を喜ばせようとする。しかし、翌日には少女はそのことを忘れてしまう。その日その日、少女に喜びを与え、少しでも翌日の記憶に残そうとする。そこで何度か「明日じゃ駄目なんだ」というセリフを口にするのだ。翌日には少女は忘れてしまうから。
「明日じゃ駄目なんだ」。
今日すべきことを明日に先送りすることは誰しもやることだ。しかし、本当にそれでよかったのか。
アメリカの社会学者 チャールズ・ホートン・クーリー(Charles Horton Cooley: 1864-1929) は言った。
「明日はなんとかなると思う馬鹿者。今日でさえ遅すぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。」
少女パコは、いつも昨日と今日を生きている。明日という日が来ないから。だからこそ今日が大切なのだ。しかし、それは、ビジネスの世界でも、我々の日常生活でも同じことなのではないだろうか。明日のことなど誰もわからないのだから。
「明日じゃ駄目なんだ」。
関連記事
2008.10.20
2008.12.24
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。