ものごとは「分解」しなくては正しい解決手段が見えてこない。しかし、世の中、「十把一絡げ」に安易に単純化して扱う例は枚挙にいとまがない。
日経新聞夕刊・連載コラム「明日への話題」。08年9月1日は哲学者の木田元 先生が「災害弱者」と題して執筆されていた。<若い頃は人一倍体力があったし、運動能力も優れていた(中略)80歳にもなり、おまけに病後ともなればそれどころではない>と書き出し、<中国四川省や東北地方の相次ぐ地震のニュース>で報じられる被災者の姿に<なんとも身につまされた> という。そして、自らを含めて「災害弱者」という分類のされ方が気になるという。<幼児や重度の病人など、災害時にまっ先に犠牲になりそうな者たちを実に手際よくかこいこんで、使い勝手の良さそうな呼び名である>と。そして<あまり手際がよすぎて、「後期高齢者」と似たような酷薄さが感じられる>と記されている。
災害弱者は国交省の定義によれば、
1:自分の身に危険が差し迫った場合、それを察知する能力が無い、または困難な者
2:自分の身に危険が差し迫った場合、それを察知しても適切な行動をとることができない、または困難な者
3:危険を知らせる情報を受け取ることができない、または困難な者
4:危険を知らせる情報を受け取ることができても、それに対して適切な行動をとることができない、または困難な者
ということになる。つまり、大きくくくってしまえば「自らに迫るの危険、及び災害情報の受信と判断・行動能力に問題がある者」というこになるのであろうが、上記の1~4本来はくくるには無理がある。各々の抱える問題と、災害回避と被災の際の救援方法に大きな違いがあるはずだからだ。しかし、木田先生のご指摘通り、「災害弱者」の言葉一つで「囲い込まれている」のが現状だ。
先生が指摘されているもう一つの囲い込みである「後期高齢者」。「後期高齢者医療」を巡り論議が高まり、制度自体は「長寿医療制度」と名を変えたが、実質的には75歳以上をひとくくりにした「後期高齢者」という定義の意味するところが根本的に変わっているわけではない。
まさに執筆された木田先生は、「災害弱者」で「後期高齢者」にくくられてしまうわけだが、「その中でも各々が均一な存在であるわけではない」とご自身を顧みて主張されているのだろう。
「囲い込む」「くくる」ことをマーケティング的には「セグメンテーション」という。「マーケティング戦略上同質と見なしても差し支えない、意味のある集団にくくること」がその定義である。
しかし、木田先生ならずとも「勝手に”差し支えない”などとくくるな!」と思われることも少なくないだろう。
間違った「セグメント」の例でよくあるのが「20代女性」などという単純なくくり方だ。確かに年齢×性別で意味のあるくくり方はできている。しかし、そのくくった個々の人が「同質である」ということは全くない。故に、そうした単純なセグメンテーションだけで施策を考えると、大きく外してしまうことになる。
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2008.10.21
2009.09.19
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。