2008.05.19
「格差は存在する」と子ども達に伝える教育も必要だ(中)
寺西 隆行
(株)Z会
格差はひどい、の大合唱。 「こんな格差があっていいものでしょうか?」 ごめんなさい、マスコミで流れる安易なこのような投げかけには完全に閉口する自分がいます。 まずは自分でどうにかなるところからどうにかしませんか?(中編)
R25の「“子ども格差”の時代が到来!?」の記事
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10003000/1112008051505.html
の元ネタになった週刊「東洋経済」5/17号の表紙では
タイトル:子ども格差
サブタイトル:このままでは日本の未来が危ない
表紙中文章の冒頭:今のニッポンには私立小学校受験に350万円もかけてもらえる子どももいれば、中学3年になっても九九ができない子どももいる。
となっています。
「東洋経済」ですから、教育論ではなく政策論についての記事であることは疑いがありません(事実、表紙の文章の締めは「…真の政策は生まれる」となっています)。
ただし、“格差についての政策論と教育論の区別がつかない人がこの冊子を手に取ったとき”を想起すると…
表紙の冒頭文を読んで、徒に自らの格差解消努力を放棄し、責任転嫁型の大人を生産することにならないか?
そう感じました。
そして、その感じた「感性」をして、思ったことをそのまま記事にした、ということになるでしょう。
さらに、恐らくは、「環境そのものは諦めるが、自分の人生は諦めずに楽しめる感性」という素敵な言葉をもたらしてくれた、友人の藤沢あゆみさんも同じ気持ちでは…。
上の素敵な感性を子ども達に伝えるには、「自らの格差解消努力を放棄し、責任転嫁型の大人」が溢れた社会になってはいけないー
これは疑いのないことです。
そして、個人的には、今社会全体において、格差についての「政策論」ではなく「教育論」がすっぽり抜けているような気がしてなりません。
街中には、ねたみ、そしり、ひがみ、噂話が溢れています。とくにメディアですね。
これはメディアのせい、とばかりいえません。
そういうメディアを好む人が多いという証左でもあるわけですから。
まずは、幸せを感じつつ生きている大人がメディアの全面にでるような社会になるのが大切です。そのためには、「そのことが大事」と思い、行動する大人達が溢れないといけません。
さらに、メディアに出る大人たちは、「自分の手に届かないような大人たち」ばかりではなく、「どこにでもいそうな大人」が出なければ。
だから僕は、記事を書くときにー
「うん、自分は、サラリーマンやってて、Z会の社員で、楽しんでるよん」
一つ一つの記事ではなく、全体で、それが伝わるような記事になることを目指しています。
※まだまだ道半ばですが…
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「格差は存在する」と子ども達に伝える教育も必要だ
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