上野動物園にジャイアントパンダがやってきたのは1972年10月28日のこと。以来、36年目にして、パンダがついにその姿を消した。リンリン2008年4月30日午前1時56分死去。享年、22歳。その後、中国からのレンタルをめぐり、石原都知事の「パンダいらない」発言や、年間1億円ともいわれる高額なレンタル費をめぐって物議を醸している。果たしてパンダが上野や上野動物園にもたらす意味とは何なのか。
石原都知事は以下のようなに発言した。(日本にはまだ神戸市立王子動物園に2頭、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドに6頭のパンダが存在していることで)「世界も狭くなったんだし、(パンダを)見たけりゃ、いるとこに行って見てくりゃいいじゃないですか」。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080503-00000064-sph-soci
確かに、上野にしかパンダがいない時代はそれは貴重で、全国から人々はこぞって見に訪れたものだった。しかし、いつの間にやら白浜にはパンダがうじゃうじゃいる時代になっていたのだ。
それでも「上野のパンダ」にこだわる人々もいる。上野でパンダ関連の土産物を商う店主は「上野のシンボルはパンダ」と、都知事の発言に怒り心頭のようだ。http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080503-OHT1T00236.htm
一般の人はどうなのだろうか。パンダ死去前の調べではあるが、 オリコンのランキングニュースの「上野特集」に面白い調査がある。http://rn.oricon.co.jp/special/hayari/tekuteku/20080129.php 「上野のイメージキーワード」として、「上野動物園」「アメ横」「上野公園」「西郷隆盛」「ABAB」に次いで「パンダ」が6番目にランクインしている。確かに上野の、そして上野動物園のシンボル的な存在であったのは間違いないようだ。
そもそも、パンダがやってきた1972年当時の動物園は、動物の姿そのものを見せることを主旨とした「形態展示」がほとんどであった。そこに、白黒ツートンカラーで、ふっくらとした愛らしい姿のパンダが登場すれば、弥が上にも注目される。また、日中友好のシンボルとして贈られた(当時はレンタルではない)パンダは破格の待遇が与えられ、飼育スペースで木に登ったりタイヤにじゃれたりする仕種で人気はさらに高まった。国民的に愛される存在としての地位をパンダは不動のものにしたのである。
筆者が幼時に目にしたパンダは確かに珍しくも愛らしく、それは衝撃的であった。もっとも、初めて上野動物園に見に行ったときには見物客の頭しか見えなかったけれど。
以来、筆者はパンダ好きである。だがしかし、上野動物園にどうしてもパンダが必要なのかということに関しては、疑問が残るのだ。
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2008.05.28
2008.07.16
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。