洞察力と行動力、その他諸々において、勝手に尊敬する人の一人になっている後藤芳徳さん。 先日、ブログでこんなことを書かれていました。
◆本投稿記事は、毎日更新中のブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
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ユニセフ?だったかに招待された日本の学生が
「日本の学校制服の強制は人権侵害」
などとふざけたことを言ったら
「制服は服も買えない貧しい子供に対して服のことを気にせずに学校に通えるように作られたものだから、もっと配慮あるまともな大人になってください」
って説教されたらしいね。
なんて思いやりのない馬鹿な子供だと。何たる想像力の欠如だと。
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制服を人権侵害だ、と叫ぶ人に対し、非常に説得力を持った反論ですね。
余りにもクリアーで感動まで覚えました。
このテの意見に対する反論を持っている方は、だいたいの人が
「制服が嫌ならば制服ではない学校を選べばいいじゃん」
という、選択権に帰結させるんではないでしょうかね。
僕もこれ以上の「返す刀」を持ってはいませんでした。
しかしこの反論は、相手に説得力を持たないのが普通なんです。
なぜなら、地方では、実質的な選択権がないのがほとんどですから。
たとえば、僕が高校時代、仮に「制服の強制なんて人権侵害だ」と思っていたとしても…
制服ではない高校はそもそも周りにほとんどなかったですし、あっても大学進学を目指すような学校ではありません。
かといって引越しなんてそんな簡単なことではないです。
そんな中で、制服であること、ないことの優先順位は、学校のレベルや校風より上になることなんてほとんどありません。
従って結果、自分の学力レベルにあった「制服」の学校を選ばざるを得ず、「制服じゃない学校を選択する権利があるじゃん」という意見は、「制服が嫌だ」と思っている人間にとって感情的な反発を生むだけ。
腑に落ちませんから。
しかし上記の反論。
非常に腑に落ちて…これでは、「制服が人権侵害だ」という意見がむなしく響きますよね。
そもそも、「人権侵害」と言う言葉が、ある程度説得力を持って受け入れられるとき、というのは、
「誰かの個人的な利益を必要以上に増やす行為が、他の多くの人の保持していた権利を奪うか、あるいは少数の人であっても、奪う権利の度合いがかなり大きい場合」
ですね。
制服の強制で奪う権利なんて、正直たかが知れています。
これで奪われる、と声高に叫ぶ人は、単に社会性がないだけだと感じます。
加えて、ユニセフの方が伝えた意見の素晴らしいところは、
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