平成の時代が間もなく幕を下ろします。 筆者はまさに平成の時代を駆け足で走りました。 今回は為替市場、金利市場を中心に、そんな私の平成金融史を駆け足で振り返ってみたいと思います。
1995年(平成7年)4月になると、80円を上回る円高局面が到来し、日本の投資家、特に生保などの機関投資家は、米国不動産を買い漁る時代を謳歌しました。
しかし、円高ということで、日本の輸出体質の経済は急速に冷え込み、生保は体力を弱め、次々の不動産を売却せざるを得ない状況に陥ります。
株式市場でも一気に株価を下げることになり、バブル崩壊の真っただ中、日本企業の資産が急速に縮小することになってしまいました。
当時、筆者は為替から金利の世界に入りつつある時期にありました。
為替の直物(スポット)取引中心から、先物(フォワード)取引中心の業務内容に変化していたのです。
そしてその後、資金繰り操作、金利取引を中心に業務が変わっていったことで、為替の動きと共に、金利の動きを注意深く見ることになりました。
バブル崩壊後の日本
1995年(平成7年)を過ぎると一旦は140円、130円には達するものの、その後はまた急速に円高が進む為替相場が続きます。
輸出企業の財務担当者は、何とか円安方向が続くことを願っていたのですが、どうしても外圧、主に米国当局者からの政治的圧力が強く、結果的に円高局面が繰り返されることになります。
2012年(平成24年)前後には再度80円を超える円高を示現することになります。
この頃になると輸出構造からの脱却、つまり新たな収益源の産業を国内的に創生しなくてはいけないと言われました。
しかし現状を見ると、平成最後の年になっても、結果輸出体質の産業構造を変えることはできていないとも言えます。
政府と民間が一体となった新しい産業、例えばデジタル時代におけるインターネットやスマートフォンなどの先端テクノロジー産業分野で世界的に生き残れなかったのは残念でならないと筆者は思っています。
令和の時代には、再度チャレンジしてほしいものです。
「1ドル=100円の時代」
こうして振り返ってみると、平成最初の時代にスイス人ディーラーから言われた、「1ドル=100円の時代」が依然として正しく、そして大きく円安にも円高にも触れることのない為替相場に収斂してきていることがわかります。
平成の時代に入ってからは大円高時代となり、80円を割り込む円高を2度、そして2000年(平成12年)にも80円台を経験しました。
また円安局面に振れても、130円台を一度、そして2度の120円台の円安局面を迎えましたが、どちらも長期間続かない相場で終始しています。
こうなってくると、企業の為替相場感はどうしても円高局面を意識した為替戦略をとることになってくるでしょう。
結果として、企業の自己防衛から、ある面で企業の内部留保を増やすことにつながったのではないでしょうか。
次のページ金利面から見る平成
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
関連記事
2009.02.10
2015.01.26