ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。 「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較していきましょう。今回は、外食がテーマです。 日本人は比較的家庭内で食事をする傾向が強いようですが、そのせいか、外食には独特の「ハレ」の感覚が強いですね。子供の頃に「今日が外食だ」というとなんとなくワクワクした記憶をお持ちの方が多いのではないでしょうか。 日本人が特に好んで食べるそば、天ぷらなどを中心に主に昭和初期からの外食のお値段の変遷をざっとたどってみましょう。
「ごちそう」のイメージが強い外食の一つ「うなぎ」
ニホンウナギが絶滅危惧種に指定され、シラスウナギの漁獲量は激減し、コンビニチェーンの大量廃棄が問題になりますが、うなぎはなんといっても日本人にとっての「ごちそう」のイメージが強い外食の一つですね。
うなぎは万葉集の昔から日本人に食べられていましたが、現代の蒲焼に近いタレで焼く方法が考案されたのは江戸時代の後期。うな丼を考案したのは江戸時代中期の大久保今助という人で、蒲焼とご飯が別だと、途中から蒲焼が冷めてしまうので、考案したと伝えられています。
江戸時代のうな丼は一杯200文(約3000円)。やはり「ごちそう」だったんですね。昭和30年には350円、昭和50年には1200円になっています。現在でも1500円から1800円くらいではないでしょうか。お重に入っているともう少し高いですね。
もはや「日本の国民食」となったカレーライス
見事に日本の国民食となったカレーライス
もともと外来の料理が日本化したものとしては、ラーメンとカレーがその代表格でしょう。
カレーライスは、明治時代から日本人に親しまれてきましたが、当初はハイカラな高級な料理でした。明治時代後期頃まではカレーライスは主に西洋料理として扱われましたが、明治時代末期より食堂のメニューにカレーうどん・カレーそばなどのメニューが考案され、広く食べられるようになりました。
一方で、東京の「新宿中村屋」が1927年に「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出したところ、日本で初めての本格的な「インドカレー」で、高値にもかかわらず1日300食が売れたそうです。
昭和20年代には豚骨スープに醤油を隠し味にした日本風のカレーが銀座の「ニューキャッスル」で評判となるなど、もともとインドの食材であったカレーは見事に日本化されていったのです。ちなみに、この頃のカレーライスは100円ほどでしたが、現在ではチェーン店などでもカレーライスは数百円で食べることができますね。インドやパキスタンの人によるカレー屋さんもこの頃多く目につきます。日本人はよほどカレーと相性がいいんですね。
── そば、天ぷら、うなぎ、カレーライスと、日本人が大好きなメニューから外食のお値段の変遷をたどってみましたが、今日はクリスマス。
クリスマスは和食ではなく洋食をメインにパーティを楽しむ方が多いようですが、歳末から年明けにかけて和食を食べる機会が増え、おせちに飽きた頃になると外食の機会が増えます。とはいえ、年末年始の暴飲暴食にはくれぐれもご注意を!
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