文化放送「The News Masters TOKYO」のマスターズインタビュー。 パーソナリティのタケ小山が今回「この社長にぜひ会いたい!」と訪れたのは「築地銀だこ」の創業者、株式会社ホットランド代表取締役の佐瀬守男さん。 外食産業は「人ビジネス」で、「人の喜びを自分の喜びにできる仕事だ」と語る佐瀬さんのこれまでの挑戦の軌跡を追いかけながら、夢を追い続けることのできる情熱の"源"を探る。
商売は「あきない(=商い、飽きない)」
だが、佐瀬さんたちはくじけない。「それからも、食べるためにいろんなことをやりました」と話す。
ある日、テレビでソフトクリームが大人気で行列ができているというニュースを見た。羽生のその店では牛乳でソフトクリームを作っているという。何度も通って製法を教えてもらい、店の商品に加えたところ、これが売れに売れた。
「ソフトクリームが売れると焼きそばもおにぎりも売れ出して、たちまち繁盛店になったんです」ようやく売れるものを見つけた!と思った佐瀬さんは、当時住んでいたアパートの一角を「ソフトクリーム工場にしたんです」と笑う。
「アパートを、工場に?」と問い返すタケに、「湯飲み茶わんを500個買ってきて、手作業でソフトクリームを絞ってあんこを入れて、アイスまんじゅうを作りました」と教えてくれた。
そのアイスまんじゅうを、横浜の中華街まで売りに行った。「中華まんを売っている隣で、中華アイスまんじゅうって名前で売ったらめちゃくちゃ売れたんです!」ようやく聞けた「売れた」という話に嬉しくなるタケだったが、話はここでは終わらない。
「桐生から横浜まで下道で片道6時間かかるんです。往復12時間かけて行って帰って、帰宅後は500個のアイスまんじゅうを作るという生活が始まりました」寝る暇もない。そんな日々を延々続けた。それでも一日の売り上げは最大500個分でしかない。
「もっとたくさん楽に作る方法は無いのか?」そう考えた時、思い浮かんだのが鉄工所を経営している兄の顔だった。「一緒に事業をやろう!」と巻き込んで「1億円くらい借金をして、べらぼうにでかいアイスまんじゅう工場を作ったんです」(「あれ、なんかイヤな予感がする...」と、小さくつぶやくタケ)
工場で大量生産したアイスまんじゅうは、30店くらいの中華街の店や全国の観光地に卸して人気を博した。
「ところが、一年で全く売れなくなってしまったんです」
アイスまんじゅうでは地味すぎるのかもと、アイスキャンデーを作ってもみた。だがそれも、営業に行ったコンビニやスーパーマーケットで見向きもされない。
「借金は残る。こりゃもうダメだ!」と思った佐瀬さんたちは「自分たちで売るしかない」と心を決めた。
歩行者天国を自転車で「チリンチリン」と鳴らしながら売って歩いてみたら「これが、売れるんですよ!」とニッコリ。観光地でも、売れに売れた。「これはいける!」とアルバイトを50人くらい雇って売って回らせたという。
だが、「アイスには悲しい性(さが)があるんです」と声を落とす佐瀬さん。
「冬場は全く売れないんです...」
温泉場なら売れるかもしれないと思って水上温泉などにも出かけてはみたが、大した売り上げにはならない。
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