文化放送「The News Masters TOKYO」のマスターズインタビュー。 パーソナリティのタケ小山が今回お迎えするのは、住友銀行副頭取、住銀リース社長などを歴任した後に69歳で、"地球の未来のために"蓄電池の会社を起業したエリーパワー代表取締役社長の吉田博一さん。 現在も80歳を超えて尚、キラキラした目で未来を語る吉田さんのパワフルな生き方にタケが迫ります。
「69歳で発作的に起業しました」
「起業しようなんて全く思っていなかったんだけど、いろんなことが重なって69歳の誕生日のひと月前くらいから準備をはじめ、発作的に創業しました」
そう語り始める吉田さん。
「発作的だったんですか!吉田社長にその発作を起こさせたものは何だったんですか?」と尋ねるタケに、吉田さんはこう続けた。
「世の中の役に立ちたい、ただそれだけです」
銀行員時代は様々な企業の経営者に会って話して、お金を貸すことで事業を助けるのがやりがいだったという吉田さんは、住銀リースの社長を辞めた後、慶応大学で電気自動車の研究と普及に関わることになった。
最初に電気自動車に乗った時、「これは将来性があるな」と直感的に思ったという。
教授として大学で研究を続けることを決意して、ブランディングやマーケティング、プロジェクトの運営を主導する立場になった。研究にはお金がかかるが、「お金集めは得意分野ですからね」と笑う。
この時に開発した電気自動車エリーカは、NHKスペシャルに取り上げられるなどして広く注目を集めた。
「この研究を通じて、電池の重要さを再認識しました。これは今後のエネルギー産業の要になる、と思いました」
「高齢者には高齢者の役目がある」
戦後の日本の産業はものづくりの力によって大きく羽ばたいた。
「そこにくっついてサポートすることで金融も栄えた。銀行員の頃は、金融が世界を制すると思っていましたが、金融だけの力ではそんなことはできない。日本がこれからもっと栄えるためには、ものづくりを残さないといけない」と、痛切に感じたという。
「当時、69歳。僕の周りでは60歳を過ぎたらゴルフをして遊んでいる人も多かったが、それでは世の中が持たないと思った。高齢者は高齢者で役目がある。とはいえ組織の中に居続けては邪魔な存在になってしまうから、全く別のところで、しかもいちばん難しいことをやり遂げることができたら世の中を変えられるかもしれないと思ったんです」
それが、蓄電池だった。最初は、自分はアシストに回るつもりだった。
「大型の蓄電池を作りませんか?と、いろいろな会社のトップにお目にかかって提案しました。蓄電をやらないことには、これからの世界は持たない。力のある誰かにやってもらいたいと思ったんです」
だが、誰ひとりとして首を縦に振らなかった。
「あんな危ないものを大きくはできない」という返事ばかり。
「そうか、じゃあ自分たちがやるしかないな」
吉田さんが、3人の仲間とともにたった4人で創業したのは、2006年の9月28日だった。
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