社会にエリートは必要か?:三分でわかる朱子学

画像: 白鹿洞書院朱熹像

2016.09.18

ライフ・ソーシャル

社会にエリートは必要か?:三分でわかる朱子学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/一国の下に万民は等しくあるべきであるという新学新法は、特権的なエリートである士大夫(地主商人官僚)の存在を根底から否定するものであった。このため、朱子は、万民が等しく性善であるにしても、現実の人間には優劣があり、そのエリートこそが庶民を治め教えるべきだ、ということを理論づけようとした。/



理気二元論


 一言で言えば、理屈と現実の違いだ。形而上と形而下、この二つの世界の違いを、朱子は古い陰陽五行説で説明した。すなわち、天、太虚(物質のない世界)なら、『易経』に説かれている陰陽の道理どおりになる。ところが、現実では、この道理を物質が担わなければならない。しかし、物質には木火土金水という五気の性質が乱れ混じっている。このために、現実は道理どおりにはならない。


 現実の物質は、木火土金水、五気の複雑な組み合わせでてきている。そこには、木生火、火生土、土生金、金生水、水生木と循環生成関係がある一方、木剋土、火剋金、土剋水、金剋木、水剋火の静止妨害関係があり、これらによって、陽の動と陰の静とが起こるが、これらの五気から生じる動や静は、かならずしも天の陰陽の波に沿うとはかぎらず、そこで事を荒立てることになってしまう。


 言ってみれば、理気二元論は、物理学(エネルギー論)と物性論(化学)の違い。もともと陰陽の二気は静動のエネルギーの話で、木火土金水の五行は物質の相性の話。計算上、図面上はうまくいくはずでも、実際の部品が熱で膨張すると、うまく動かない。キャリアや能力からすればA部長の補佐にB課長が適任だとしても、前にA部長とB課長が同じ女を争って大ケンカしたというような因縁があると、うまくいかない。


 しかし、現実以前に理論からして、陰陽論と五行論は、つながりが悪い。陰陽は孔子が信奉した『易経』の話だが、五行はむしろ道教の話。「理」の方が陰陽の二気で、「気」の方が木火土金水の五行なのも、うさんくさい。陽が濃縮して木や火が、陰が濃縮して水や金ができたが、老陽から老陰への反転の混乱で土になるので、木火土金水で循環する、とか、木火金水の変わり目ごとに中立的な土になる、とか、気の陰陽に現世の土が混ざることで木火金水になる、とか、かなりあいまい。おまけに、木火土金水のそれぞにも陰陽があって十干(じっかん)をなしており、陰陽から五行ができたとすると、火の陰(丁)、水の陽(壬)って、どういうこと? となってしまう。エネルギーから物質ができる、なんていうのは、現代の科学でも面倒なところ。


 たしかに五行は『書経』にも出てくるし、『孟子』も引用している。しかし、孔子では言及されておらず、『書経(尚書)』の「堯典」(中国最初の神帝の歴史)が作られたのが、せいぜい戦国時代(孔子より後、孟子よりは前)。となると、五行は、むしろ戦国時代のアイディア、それどころか、この時代、アレクサンドロス大王の東征でシルクロードが劇的に発達したので、ひょっとすると遠い古代ギリシアのアリストテレス(BC384~22)のアイディアの可能性もある。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。