2016.01.06
職場のウェルビーイングを考える (4) - フェアな組織であること
おおばやし あや
SAI social change and inclusion 代表
組織を鉄骨とするならば、その中で動く人に対して適切な距離感が必要です。精神的距離が近すぎると、偏った哲学を強制したり、プライベートに踏み込みすぎて従業員の心身が病む、または遠すぎれば、貢献のしがいのない無味乾燥な職場だという事態にもなりかねません。今回から、その適切な距離感を掴むため「フェアである」考え方について提唱します。
日本で憲法で義務教育が義務として強く保証され、また必要であれば援助が得られるように、「ハンディのある状況をサポートしてもらえるだけの権利を、誰もが同じだけ持っている」という意味において平等なのです。生活保護や母子保護法なども同様です。(実際に援助システムがしっかり成り立っていないことは勿論ありますが…)
そういう意味で、例えば「男女平等」という言葉はごく一部の箇所にフレームを当てただけにすぎず、矛盾をはらみます。法律で定められるハンディを持つ人は、補助を得られる権利を持っているのですから、性別やその他の全ての要素に関係なく、人はみな平等である、が正しいといえます。
しかしこれが、社会正義を追及する場ではともかく、利益追求を目的とする会社で…となると、平等のライン決めはなかなか複雑になってきます。
組織がフェアであるべき理由
意図するところは平等とほぼ同じですので、誤解を生まないためにもフェアと言い換えると(私は)少しすっきりするのですが、社員との適切な距離感を保ち、彼らの権利を守り、且つ自分の意志でもって高いパフォーマンスを発揮して働いてもらうためには、このフェアさが欠かせない、といって良いでしょう。
フェアとは、より理にかなった平等さ、柔軟な平等さだと定義したいのですが、「公正で、より多くの人が納得できる状態」であると言い換えられるかと思います。
私もヘルシンキのとある学校で数年講師をさせて頂いているので、教育の例でいうとわかりやすいのですが、たとえば子どもをより伸ばすことのできる良い学校、先生の基準というのは、頭の良し悪しや、優しさや厳しさでもなく、ひたすらフェアであること尽きる、と考えています。
それは、普段の生活態度に関係なく、どんな生徒にも公正に接し、平等にチャンスを与え評価をし、そのために適切な距離を設定するということです。その枠組みのスペースの中で、子どもが自由に発想しお互いに影響し、伸びる仕組みを作る。できるところは彼らの自主性に任せ、何かあったときにはサポートをする。助けが必要な生徒には、平等の精神でもって手を差し伸べる。甘やかしすぎるでも、厳しすぎるでもなく、ある意味私的感情を横に置いたシステマチックなものです。
言葉で表すのは簡単ですが、人間の感情が錯綜するかぎり、フェアな環境を作ることは非常に難しいです。宿題を毎回忘れてくる生徒にも、きちんとこなす生徒にも、なついてくる生徒にもなつかない生徒にも感情でもってアンフェアに接しない…正当に評価された成績上で差はできるものの、できる・できない、好ましい・好ましくないからと言って、私的な扱いでは決して態度に差はつけない、さらに平等の観点でサポートを与えるということですから。
北欧より発案:メンタルケアのプロでなくてもできる、職場のウェルビーイング向上
2015.11.20
2015.11.23
2015.11.30
2016.01.06
おおばやし あや
SAI social change and inclusion 代表
Well-beingの実現をめざす起業家として、日本、フィンランドで主に労働者福祉分野で講師や研究開発者として活動。フィンランド国家認定ソーシャルワーカー。 「個と全を活かす」をテーマに、コミュニケーションツール開発や、多くの関連ワークショップ、研修を全国のさまざまな大学、企業、団体さまにて提供させて頂いています。