「すべての女性が輝く社会づくり」政策の一環として行われた「日本トイレ大賞」。呪いのようなジェンダーコンプレックスを平気で取り上げる勘違い政策。「日本トイレ大賞」の内容が良かっただけに二重に残念でした。
「活動部門」:我が国の技術を生かしたトイレに関する国際貢献、途上国支援、災害時の対応、環境配慮、快適で魅力的なトイレが増えるための町づくり・観光支援などの活動を行った(ている)個人、団体。
実に幅広く、興味をそそられる内容になっています。しかし「すべての女性が輝く社会づくり」との直接的な関係はなさそうに見えます。というより、もう何の関係もありません。
「すべての女性が輝く社会づくり」政策は、いつも、どこかピントがずれています。ブログに起用する“輝く女性”の選択や、このトイレ大賞や、そもそもこの政策の名称自体、違和感ばかりを感じてしまうのは、筆者だけではないでしょう。
「すべての」と銘打ったがために、八方美人的に、女性を取り巻くありとあらゆる社会問題を全部政策の対象としなければならなくなり、あまりにも問題が多様なために、八方ふさがりになっているのかもしれません。
様々な人を起用して、様々な企画を出してみるのですが、おそらく最終段階で口を出すどこかの「おじさま・おばさま政治家」あたりの意見を無視できなくて、おかしな着地点になっているのかもしれません。
いずれにせよ、この政策の底にいつも見え隠れするのは、従来通りの代わり映えのしない性差別、男女の役割分担意識なのです。
【呪いのようなジェンダーコンプレックスを政策で取り上げるという勘違い】
トイレをきれいにすると女性が輝くというのは、2012年に大ヒットした「トイレの神様」に出てくるおばあちゃんの発想と同じです。トイレ掃除をすれば美人になれるよという「おまじない」。そういえば、友人の母親は妊娠中にトイレ掃除をすると丈夫な子どもが生まれるという姑の言葉を信じて、大きなおなかを抱えて、毎日必死でトイレ掃除をしていたそうです。
冷静に考えれば、自分がやりたくないトイレ掃除を、若い娘や身重の嫁にさせるための「おばあちゃんの知恵」だとしか思えませんが、世の中には、これを「いい話」と絶賛する人々が多数存在しています。このような「表向きはいい顔をした呪い」を平気でかける女性たちのどろどろとした世界が、連綿と受け継がれていることこそが、根深い社会問題ではないでしょうか。
そして、そのまるで呪いのように植え付けられてきたジェンダーコンプレックスを、政策の一環で堂々と取り上げてしまうという勘違いぶり。
「すべての女性が輝く社会づくり」政策を、多くの女性が冷ややかな視線で見てしまう原因のひとつは、この旧来の価値観を捨てきれないまま「表向きはいい顔をした」おばあちゃん的な偽善を感じ取るからではないでしょうか。
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