何とも大変な年明けになってしまった。 大発会のご祝儀相場さえ吹き飛ばした株価大幅安は米国市場に引きずられ、底が見えない。 原油高を背景にした、石油や食品など様々な製品の値上げは生活を直撃する。 一方、環境問題に目を移してみると、各地のスキー場の雪不足や、暖かな年末年始の気候に温暖化の進行を身近に体感した人も多いようだ。
■自分なりの価値基準と取捨選択の方法論を持とう
環境問題の識者は、米国が大量生産、大量消費、そして大量廃棄の文化を確立させた1950年が歴史のティッピング・ポイントであったと言う。日本においては高度成長期に該当するのだろう。
筆者の幼少期は既に高度成長期は終了していたが、まだまだ身の回りには足りないものがあった。なかったものが家庭に導入されるときの喜びは覚えているが、さりとて、それらがなくとも何とかなるだろう。その感覚がわかるものこそが、自らの生活から「なくてもいいもの」を選別して手放していく範となるべきなのだ。
一例であるが、筆者は随分前に、都内駅近の居住環境を活かして自家用車を手放した。
いかなエコ性能が高い乗用車でも、乗らないより環境負荷低減に貢献できるものはない。経済効果も驚くほど高い。何と自家用車というのはお金がかかっていたことかと止めてみてわかった。
もちろん、自動車でしか行けないところ、例えばオートキャンプなどはあきらめざるを得なくなったが、それは取捨選択というもので仕方ないと思っている。
人それぞれの環境やライフスタイル次第で手放せるもの、手放せないものがあるだろう。
もちろん、その人なりの環境や価値観に照らし合わせて考えればいいことだ。
要は自分なりの基準を持って、環境と自分の経済に与えるインパクトをきちんと考慮し、取捨選択の意識を持つことである。
何でも手に入れる。何でも抱え込む時代はもう終わった。昔はどうだったかを考える時代がやってきたのだと認識を転換することが始まりなのだ。
■再び「Less is more」という言葉を思い出してみよう
何度か紹介している建築家、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe、1886~1969)の言葉を思い出してみよう。
「Less is more」。数多いことは決して豊かなことではない。無駄を排し、本当に必要なものだけを残した中にこそ、豊かさは存在する。
古典的な建築様式を脱し、鉄・コンクリート・ガラスを用いた、新しく合理的な様式を完成させたミースの建築物は、無駄がなく、緊張感にあふれ実に美しい。
合理的かつ、美しく、「へらす。弱める。省く」。とすれば、「ただ縮むな、よく縮め」は、本来の「ただ生きるな、よく生きよ」に確かに通じているのだろう。
自らにとって必要なものは何なのか。本当に見定めるべき時が来たのだ。
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2008.01.11
2008.01.14
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。