「自費出版」の草分け:新風舎が民事再生法適用を申請した、というニュースが先ほど飛び込んできました。 もう少し、ほんのもう少し、「自費出版」という出版物に対して、読み手も受け手も知見があれば、ひょっとしたら防げたかもしれないー そこに「寂しさ」を感じました。
詐欺まがいのものが多いことは、後藤芳徳さんのブログ「自費出版は読むな!」にも書かれています。こちらを参考にしてください。
2.(書き手として)自費出版をしてくれる会社に「書店に自分の本を並べてくれる」ことまで期待するのは大間違い。
1のような現状がある中、書店も「売れる本」「ためなる本」を陳列するのに必死です。
書店スペースには限りがあるわけですから。
新風舎は「書店に並べて販売・宣伝する契約と異なる」ことで訴えを起こされたようですが、そもそも「自費出版」という手法に訴えるのであれば、「書店に並べて販売・宣伝する」ことまで期待するのは過大な期待と言うものです。
ただ、新風舎の訴訟については、「新風舎の営業がどれくらい煽った話をしたか」「契約内容の条文がどの程度だったか」(=例えば自費出版をしてくれる他者よりも高額で「その分は販促宣伝費。あわせると割安」のような事実があれば、販促宣伝をしないことによる契約違反を訴えられてもおかしくないですから)によって大きく判断が異なりますので、「この訴訟そのものがどうか」はなんともいえません。
あくまでも一般的に「自費出版をした場合、出版社が取り次ぎを通し、書店に訴え~などのことをしてくれるもの」という考え方は、虫の良い話だ、と知っておくべき、と述べるにすぎません。
3.とはいえ「自費出版」という行為そのものの価値を一切否定するのもどうか。
僕自身は曲がりなりにも出版業界にいますので、意外と「普通の人」でも出版することがあるんだな、とは感覚的につかめます。
ですが、「自分の書いた本を出版すること」は、「普通の人」であれば、「本にしたいけどそもそもそんなことなんてできるのかな…」という不安や、「そもそもどうやって?」という無知の部分があるのが一般的だと思うんです。
もちろん、意欲的な人は「いろいろ調べる」でしょうし、「それくらいしないと本を出版する資格はない」という意見もわかりますし、僕もその意見の方がどちらかというと強い。
しかし、だからといって「自費出版」というツール自体を認めないのも、また違う。
書き手が「ふっ」と書く気になったとき、簡単に本にできる「自費出版」というツールで、良い本を手にする可能性もあると思うんです。
かく言う僕も、ちょうど今日、アマゾンさんから新風舎発行の自費出版(と思われる)本を購入したばかり。
ちなみにその本のタイトルは、『和顔愛語』(有田稔著)です。
※アマゾンでの紹介はこちら。
タイトル、そして「元小学校の校長先生」というだけで「ご縁かな、読んでみたいな」と購入したわけですが、このご縁もきっと「自費出版」というツールがなければ生まれなかったでしょう。
そもそも、自費出版に伴う上記のようなリスクを、読み手も書き手もしっかり把握できていれば、今回の新風舎の民事再生法申請もなかったかもしれません。
まあ、そういう領域で商売していた以上、自己責任といえばそれまでですがー
ちょっと勉強したり、ちょっと考えただけで状況を把握できる一つの事象(=自費出版)が消えるかもしれない、という事実に「寂しさ」を覚えました。
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