新入社員研修においては、たしかに最低限のマナーとスキル、心構えを教え込んで現場に送り出すことが不可欠です。が、20代である彼らの1年1年の成長と不安は著しい。数年先まで見据えた「観・マインド」次元での教育が必要です。
【Ⅰ次元能力】能力をもろもろ保持し、単体的に発揮する
「〇〇語がしゃべれる」「数学ができる」「記憶力が強い」「幅広い教養がある」、「文章力が優れている」「表計算ソフト『エクセル』の達人である」、「〇〇の資格を持っている」「運動神経が鋭い」「論理的思考に長けている」───これらは単体的な能力、素養としての能力です。これらを発揮することをⅠ次元の能力があるととらえます。
新入社員の多くは、こうしたⅠ次元能力を自己の強みとして就活でアピールし、採用もされたので、その延長線上で配属されるだろうことを(一人勝手に)思っています。つまり───
・「私は語学力が買われた。だから海外折衝の部門に配属されるはず」。 →でも、国内支社の購買部に配属された。意欲ダウン
・「私は広告研究会でコピーを何本も書いてきた。その能力で採用されたにちがいない。だからクリエイティブな仕事のできる部署に配属されるはず」。 →ところが、体育会的な営業部に配属された。意欲ダウン
会社では往々にしてこのような配置があるわけですが、これを彼らがミスマッチだとして意欲の低下や安易な転職につながらないようにするために、会社側は新入社員たちに対して、メッセージを発しておくことが必要です。すなわち、「あなたがたの採用はⅠ次元能力を見込んでのことではない。Ⅱ次元能力・Ⅲ次元能力こそ、会社が期待するものである」と。
【Ⅱ次元能力】能力を"場"にひらく能力
私たちは仕事をするうえで、能力を発揮する「場」というものが必ずあります。たとえば、営業部で働いているとすれば、その営業チームという職場、営業という職種の世界、そして事業が属する市場。一般社員であるか管理職であるかという立場。これらが「場」です。そして場はそれぞれに目標や目的を持っている。
私たちは、もろもろに習得した知識や技能(=Ⅰ次元能力)を、さまざまに編成して「場」に成果を出そうと努める。このⅠ次元能力を一段上から司る能力が、Ⅱ次元能力であり、ここで「メタ能力Ⅱ」と名付けるものです。
【Ⅲ次元能力】能力と場を"意味"にひらく能力
さらに言えば、もろもろのⅠ次元能力を自在に組み合わせ、場の要請に応じて成果を出し、ある大きな意味・事業理念を満たしていく(そのために新しい能力を積極的に獲得したり、場をも変えていったりする)能力が、Ⅲ次元能力/メタ能力Ⅲです。
さきほどの「モザイク作文」が、まさにこのメタ能力という概念を肚に落とすためのワークです。つまり、5枚のカードは自分が持つ単体の能力(Ⅰ次元能力)です。そして講師がホワイトボードに書く帰結ワードは、場が与えるミッションです。そのミッションをかなえるべく、5つの能力素材を組み合わせて、自分なりの成果物(=作文表現)を出す。自分の得意で好きなⅠ次元能力の延長に業務があるのではない。会社という事業組織においては、必ず「場」(職場・市場・立場)からの要請・需要があって、それに応える形で成果を出していく。それが「会社という舞台で仕事ができる人」であり、「優れた組織内プロフェッショナルの姿」なのだ、というマインドセットに通じていくワークです。
そういう仕事観・能力観・プロフェッショナル観を会社側が発信していかねば、いつまでも彼らは「会社はやりたいことをやらせてくれない」とか「ミスマッチだ」などの感情に傾きやすく、組織にとっても個人にとってもハッピーでない状態に陥るリスクが継続します。
「単に~ができる」というⅠ次元能力を超えて、どんな部署に配属されようと、どんな業務命題を与えられようと、そこで成果を出し、大きな意味のもとに自分をひらいくメタ能力に優れた組織内プロフェッショナルに育っていってほしい───そういったメッセージを研修プログラムに込めて伝えるのが、新入社員フォロー研修の大きな目的になりえるのではないでしょうか。
◆分厚い観から出た言葉を差し出す
知識や技術は伝授や植え付けが可能ですが、観やマインドはそうした一方的な教え込みはできません。あくまで、ある観を示し、それによる影響や感化によって本人の内の醸成を促すことができるのみです。研修でさまざまなワークや講義を行った後に、私が届ける言葉はたとえば次のようなものです───
「最初の仕事はくじ引きである。
最初から適した仕事につく確率は高くない。
得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年を要する」。
───ピーター・ドラッカー(経営学者)
「下足番を命じられたら、
日本一の下足番になってみよ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」。
───小林一三(阪急グループ創設者)
「小さな役はない。小さな役者がいるだけだ」。
───(演劇の世界での言葉)
「人生とは10パーセントの我が身に起こること、
そして90パーセントはそれにどう対応するかだ」。
───ルー・ホルツ(米・アメリカンフットボールコーチ)
「転職は、今いる会社で実績を積み、"伝説"をつくってからでも遅くはありません。
いや、実績を積んだときはじめて、転職するもしないも自由な身になれるのです」。
―――土井英司『「伝説の社員」になれ!』
こうした言葉の含蓄を彼らがどこまでそしゃくできるかはわかりません。しかし、耳に入れておくのとそうでないのとでは大きな違いが生まれます。こうした下地があれば、この先、彼らが遭遇する出来事から、「あ、あのときのワークはこういう意味があったのか! あの言葉の本質はこれだったのだ!」という気づきが起こりやすくなります。そしてそのときの意識変化、行動変化は根本的なものになるでしょう。「観・マインド」醸成の教育とはこうした中長期わたってじわりと効いていく類のものです。
昨今、経営者や人事担当者は社員を「自律的」に育てたいとよく口にします。この「自律」とは何でしょう。"律"とは規範やルールです。つまり、自らの規範やルールに基づいて判断、行動できることが自律ということです。自らの規範やルールを内面に打ち立てるには、そもそもその根っことなる価値基軸や観がしっかりなければなりません。ですから、自律的な人材の育成には、観の醸成教育を避けて通ることはできません。
と同時に、そこでは組織側の観も問われることになるでしょう。一体全体、会社はどんな就労観、事業観、人材観、キャリア観、社会観を持って事業を推し進めようとするのか。そこをていねいに発信し、社員と共有しようとすることが会社にも求められます。「観は人それぞれ多様だから、縛ることはよくない」というのは、社会全体には言えることですが、こと事業体にあっては、むしろ観を共有できる人が集まって、強い思いの製品・サービスをつくるほうが望ましい姿といえます。共有できる理念・バリュー・文化が土壌としてあって、その上に多様で強力なアイデアが出る。昨今、顧客に強く支持される企業の共通点はそういったところにありはしないでしょうか。
いずれにしても、新入社員に対し、技術習得や知識獲得とは別に、意味・価値次元からものごとを考える機会を、内面の揺らぎの大きい20代にこそ豊富に与えるべきだと思います。「観・マインド」の醸成や共有は、しかるべきタイミングを逃すと、人の内面の土壌は固まってしまい、後からの教育はなかなかうまくいきません。新入社員をけっして子ども扱いせず、真正面から「観・マインド」を見つめさせる問いを投げかけていいのではないでしょうか。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。