今年もいよい残り少なくなり、様々なことを振り返る時期になってきた。 まずは、年末休暇も目前なので、今年一番の映画について記したい。
日本公開は春の連休の初日、4月29日なので、ずいぶん前のことになる。
しかし、「コミュニケーションの本質」を追及する筆者にとっては、映画の中でひとつの解を感じることができたこの作品を、今年の一番に推したい。
「バベル」
カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞。菊地凛子のアカデミー助演女優賞ノミネートでも話題を集めたが、日本での評価はかなり分かれている。
作品を低く評価する人の多くは、ラストの唐突なブツ切り感を問題にする。
しかし、それを制作者の「考えろ」というメッセージとして受け止め、自分なりの答えを見つけ出せればずいぶんと感想は変わるだろう。
以下、ネタバレに気をつけつつ、筆者の評を記す。
「バベル」は旧約聖書の「バベルの塔」における、「言葉が通じなくなったことによる混乱」をモチーフにしているという見方が多い。
しかし、実はそこには全く逆、もしくは違う意味が隠されていると解釈したほうがよさそうだ。「言葉が通じない」つまり”conversation”の不成立ではない。”communication”の不成立を問題にしているのだ。
communicationは”verbal communication(言語的コミュニケーション)”と”non verbal communication(非言語的コミュニケーション)”に分類できる。
筆者はコンタクトセンター出身であるが、以下のように教育される。
「人と人のコミュニケーションにおいて言葉で通じ合う部分は実は少ない。多くは、お互いの表情や身振り手振り、雰囲気などを通じて感じ取るもの。その意味からも、電話だけでコミュニケーションをするというこの仕事がいかに難しいか、まず理解するように」。
上記の”verbal communication”と”non verbal communication”の話である。
映画のあらすじとともに、その意味合いを紐解いていこう。
「バベル」では、悲劇がモロッコ人兄弟、米国人夫婦、その夫婦の子供二人とメキシコ人乳母、日本人の父と聾唖者の娘に訪れる。
ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェットが演じる米国人夫婦が旅先のモロッコでトラブルに巻き込まれ、妻が瀕死の重傷を負う。その子供二人は乳母に連れられメキシコに行きトラブルに巻き込まれる。モロッコ人兄弟は逆にトラブルを引き起こしてしまう。遠く離れた日本では母を亡くした父娘が心のすれ違う日々を送っている。
それらの人間が一本の糸で結ばれていくのだが、それ自体がメインテーマではない。「同じような悲劇が世界中で起っている。それらの根は繋がっている」という、いわば大テーマを支える暗示だ。
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2008.03.03
2008.03.05
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。