「社風の良い会社に勤めたい!」 誰だってそう思いますよね。 しかし、思った人に「主体性」がなければ、自らが社風を壊す因子になります。 社風の良い悪いを作っているのは、自分自身でもあるのです。
就職したい!と思う企業・官公庁・研究所…広い意味で「会社」を選ぶとき
・雰囲気の良い会社
・活き活きと働けそうな会社
・自らの能力を高められる会社
…などなど、いわゆる「社風」をポイントにされる方、多いと思います。
僕自身もそうでした。
「教育」という業界を決めた後は、「職種」(=その会社でどのような仕事をするか)なんて希望が通らないことママあるからね、と思っていましたので、面接のときにお会いした面接官の、なんとなく感じる「人柄」から社風を自分なりに読み取り、Z会を選んだ、という経緯があります。
社風を気にすること、それ自体は「人それぞれ」の領域かと思います。
しかし、社風を気にする人自身が
「自らその社風を作っていこうとしているか」
ここがその人の、(仕事が)できるできないという能力を判断する分かれ目になります。
できる人の例はいいですよね。自らがその会社の「一員」となって、雰囲気作りをし、活き活きと働き、そして積極的に能力を高めていく人です。
かたやできない人。
運良く、社風の良い会社に就職できたとしても…
・雰囲気が悪くなった瞬間に「前は良かった」と言い始めます。
・自分が希望していない職種についた瞬間に「会社はわかってくれない」と話し始めます。
そして、自らの社歴を振り返った「自分の中での比較」、あるいは、学生時代の同期と仕事の話をして感じた「相対的な比較」の中で、能力不足を痛感したとき
・能力を高めてくれることを会社はやってくれなかった(やってくれると思っていたのに)、と批判する、愚痴る。
バカですね、こんな人。
※僕なりのバカの定義=知識がないことそのものではなく、知識・知見がないことに気付き、それを仕入れようとするときに、「(誰かに、あるいは会社に)教えてもらえて当然」のような雰囲気を感じさせたり、立ち居振る舞いをしたりする人。
このような人は、「清流」、つまり、社風が良い環境にいるとき、自分のことを誇らしげに思い、周りの環境のことも当然、誇りに思います。会社への感謝の気持ちも湧くでしょう。
しかし、その人に自浄能力がないものですから、そういった社員が周りに増えてくれば、雰囲気を変えることはまず不可能ですし、挙句の果てに愚痴、多いものでは上司や会社への批判となりましょうか。
自分自身がそんな雰囲気を構成している一員だ、と気づかずに(気づこうともせずに)。
清流に棲み続けると、なかなか自分自身に自浄作用があるか、気づきません。
かといって、無理して濁流、つまり、雰囲気の悪い会社や、(会社の中の話であれば)雰囲気の悪い部署に異動せよ!などとも思いません。
会社の中で何かしら「まずい」匂いが漂い始めたとき、消臭しようと思っているかどうかー
そして、それに伴う「行動」をしているかどうかー
それが自浄能力があるかどうかの目安です。
批判だけで行動しない人が、一番自浄能力がないのは、世の常ですね。
毎日ブログ更新中!http://www.zkaiblog.com/histaff/
関連記事
2007.12.10
2007.12.12