経営者、あるいは、投資家としての価値基準の根底には愛情がある。経営者として、また、投資家としての哲学について考えたい。
哲学とは経験に基づいた価値基準である。多くは自分自身が経験して体得した考え方である。あるいは、学習によって感覚的、感情的に定着している価値観ということになる。哲学は考える順番、思考の方法、価値の優先順位などを表す。経験豊富て独自の基準を持っている人に対して全く別の哲学を伝えることは困難かも知れない。一方で、組織においては哲学というか、一定の価値基準がなくてはまとまらない。組織に価値基準を浸透させること、また、浸透する価値基準を持つことが組織運営のために重要である。
経営者は哲学を持って考え、判断し、行動しなければならない。その根底にあるのは自分に対する愛情であったり、自分と価値観を共有する人に対する愛情であったり、人々、組織、社会、人類、生命に対する愛情であったりする。人や社会に対する愛情はあって当たり前のものだろう。愛情の対象を、お客様、顧客、クライアントなどと表現するのはビジネスならではの発想である。愛情の対象は社員にも取引先にもなる。大切なのはその表現の仕方や姿勢・態度である。経営者など特別な責任を負う立場でなければ、あえて愛情の表現方法を定型化して人々に対して明示する必要はないだろう。それをあえて行う経営者には、その必要があるのである。人として行うべき道を示して、周囲の仲間にもそれを受け入れ、同じ道を歩んでもらう必要があるのである。それは自ら道を決めるのではなく、人の行く道に自らを合わせる活動でもある。
経営者は哲学を唱え、価値観の対立や葛藤を経て、哲学をさらに高める。赤組と白組、西軍と東軍、あるいは、敵と味方に分かれることは、仕方のないことなのかも知れないが、同じ価値観や考え方を共有する同士や支援者となる投資家を募らなければならない。投資家とは、お金を出してくれるだけの存在ではない。投資家とは、経営哲学を受けとめる存在である。気にかけて必要に応じて助言を与えてくれる年長者であったり、信頼して同じ目標を目指す仲間であったりする。
経営者として、つまり、独自に考え、判断し、行動し、さらに、責任を負う主体としてどうするのか、また、そのような他者の哲学をどのように受けとめるのか?論理や感情の他に、自分の信じるものに対する祈りのようなものも必要である。
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