規範を人頼みにしていませんか? 規範は、自分自身の中になければ、立派な大人とはいえません。
子どもたちに対し、大人が見せるべき姿勢や考えを毎日綴った、「毎日が発見!」というブログがあり、僕もほぼ毎日、拝読させていただいております。
11月26日の記事で、こんな文章がありました。
子に「規範の線」を持たせると、その線を越える事は自らで慎む。それが己の正義であって、人に言われて持つもんや無い正義や。今の子が完璧に欠如してるんが、己の正義なんや。
これは素晴らしい言葉ですね。
「己の正義」
なるほど、と思いました。
「~しちゃいけません」と、大人はスグに口に出てきます。
しかし「~しちゃいけません」といわれればいわれるほど、やりたくなってしまうもの。
そんな気持ちは、大人自身が子どもだったときに、経験していますよね?
そして、「~しちゃいけない」のように、外から定義された「規範の線」は、モロい。
自制が効かず、外からの甘い誘いにすぐ壊れる線ではないでしょうか。
また、上記は、子どもへの教育に見る大人の姿勢ですが、子どもだけではなく大人社会自身が、「己の正義」を持ち合わせているか、というと、はなはだ疑問です。
「己の正義」を持ち合わせていれば、自信を持って、自分の「判断」ができます。
しかし、自らが「判断」できないものですから、誰かに「判断」を委ねようとする、そして、挙句の果てに、何十人も集まる合議体が形成され、延々と会議…
そんな自信のない大人社会に遭遇すること、残念ながらかなり多いですからね…。
「みんなで決めた」は聞こえがいいものの、都合の良い責任転嫁にもなりますよね。
「己の正義」を持っている大人であれば、こんなことにはなりません。
もう一つ、これは「己の正義」という言葉にヒントを得て、僕自身が以前から思っていることの表現が思いつきまして…
「己のリスク」
を持つことも大事です。
つまり、「なにが危険か」を、自ら判断する姿勢、ということですね。
「ある事象」に対する分別がほとんどつかない人間を、「ある事象」から目を背かせるように仕向けるのは、大事な場合もあります。
しかし、過度に背かせると、リスクに対する判断能力を損ねます。
何が危険で、何が危険じゃないか、「言われないとわからない」人間になっちゃいますよね。
これに輪がかかると、危険なものに触れたとき、「言ってくれなきゃダメでしょ!ふざけないでくれ!」と、“普通考えればわかる”ことに対してまでクレームをつけてしまう、「できない」大人が大量生産されてしまいます。
こんな大人がいっぱいの社会、生産性がとてつもなく低いのは明らかです。
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2007.11.28
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