唐澤理恵さんのコラム「ツバを吐く男 Part2」に触発されて、少々、現代人の意識の変化について考察してみたい。
「ツバを吐く男 Part2」では、街中で紳士然とした姿で路面にツバを吐く男性の姿が描かれ、それは「男性ホルモン”テストステロン”の働きによる、男らしさの表現かもしれない」と推察されていた。
確かに生理学的な解釈としては正解かもしれない。しかし、別の切り口でも考察してみようと思う。切り口は、その舞台となっている「都市空間」だ。
同コラムではあるアンケートで、ツバを吐いた経験のある男性ビジネスマンは6割。タバコのポイ捨ては4割ということであったが、比率はともかくいずれも高率であることは間違いない。確かに街中でどちらもよく目にする。しかし、記憶を辿ってみるとその姿が昔と変わってきている気がするのだ。
タバコが短くなる。それを唇から指でつまんで、流れるような自然さで路面に落とす。火を消すことすらしない。ツバを吐くにしてもそうだ。吐きたくなったら所構わず。正にアスファルトの路面に速射である。
昔の風景を思い起こすと、タバコを路面に捨てるのは喫煙者比率が高かったことから今日よりもよく見られた。路面に吸い殻も多かった。しかし、捨てる人は、ちょっとどこに捨てようかとキョロキョロし、道の隅に投げ、その上から靴で踏みつけていたのではないか。ツバを吐くにも植え込みなど、吐いたツバがそのままの状態で残らない、人の目に触れにくい場所にしていなかっただろうか。この変化は何なのだろうか。
一つにはその行為以前に、都市空間が変化しているのではないだろうか。空間とは、そこに存在する人々も含めてである。
都市は清潔になった。路面もほとんど舗装整備された。街行く人々のマナーも向上した。
反面、それについて行けない人を生んだのではないだろうか。空間が美化され、マナーが厳しくなる。街を汚損する行為はもとより、そもそもの喫煙行為自体が非難の対象になる。ある意味、耐えられない息苦しさを感じる人もいるだろう。
ある程度我慢を重ねる。しかし、ある日、「もういいっか!」とエスケープしてしまうのだ。
一端、エスケープするともはやポイ捨ては無意識の行為になる。タバコを吸い終わる。不要になる。不要な物はそのまま捨てる。流れるような動きの完成だ。
もちろん喫煙者の大半は喫煙禁止区域では我慢しているし、携帯灰皿を利用している。問題は、既にエスケープしてしまっている人々なのだ。さらに、その比率は増えているような気がしてならない。禁煙の高まりや、喫煙禁止区域の拡大に比例するように。
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2008.06.26
2008.06.26
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。