千葉市長、熊谷俊人氏のツイッター利用が議会にて質問されたようです。 市長のツイッター利用について。 そしてこれを種にして、考える訓練をしてみましょう。
本日、読売オンラインに、千葉市長熊谷俊人氏のツイッター利用についての記事が掲載されました。
千葉市長、ツイッター「やり過ぎ」…市議が苦言
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110625-OYT1T00129.htm?from=main4
この記事に、千葉大学教授で、若者のメディアリテラシーの啓蒙に奮闘している藤川大祐氏がツイート。
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読売新聞の「千葉市長、ツイッター「やり過ぎ」…市議が苦言」という記事 http://bit.ly/kVDpR8 が偏向している件について、読売新聞のサイトから意見を送っておきました。おかしいと考えられることは、まず相手に伝えなければいけないと考えます。
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皆さんは記事の中身で語られたこと、そして、藤川教授の意見について、どのように思われるでしょうか?
まず、「新聞記事」の在り方について。
メディア論は素人なので細かくはわからないのですが、新聞には「事実を淡々と伝えること」だけではなく、新聞全体から醸し出す主義主張がなければいけない、というのが一般的なようですね。
だからといって、事実を受け止めて、自らの都合のいいように言葉を使い、事実を取り巻く関係知識に理解が乏しい読者を誘導することはやってはいけないわけで…
今回の記事、藤川教授からすると、この意味で「偏向している」と感じたのだと思います。
今回の記事は、タイトル、および「不特定多数から寄せられる意見を所管部署に伝え、対応を指示するケースもあり、市役所内部でも疑問視する声がある。」という締めくくりからも、「市長が(非常時に)ツイッターをやるのは好ましくないことだ」という(新聞記事としての)意見が滲み出てきています。
見出しと締めで紹介されていることは事実ではありますが、その事実の使い場所として「見出し」と「締め」を使ったことで、(新聞のもつ主張的意義を超えて)「偏向している」と言われても仕方ないように思えます。
否定的な意見だけではなく、肯定的な意見も掲載したうえで、自らの主張をやんわりと醸し出す…
それが新聞の果たすべき役割ではないでしょうか。
そして、本題。「市長がツイッターやることの是非」。
正直、「市長がツイッターをやっている」という事実だけでは、是とも非とも言えませんよね。
市政へのケアを放擲しツイッターにかまけるようであればそれは明らかに非ですが、ツイッターを利用して市民の声を聴くのは素晴らしい行為なわけで。
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