本日25日、国公立大学の前期日程試験が一斉に行われました。 この機会に「学歴」そして「学歴社会」について、考えるための話題を提供します。
本日2月25日は、国公立大学前期試験(2次試験)の日。
ブログやツイッターなどを見ていると、東大、京大を初めとし、様々な話題がすでに流れてきていますね。
東大国語は桑子敏雄の『風景の中の環境哲学』だったぞ!とか。
さて、先日、ツイッター(@teranishi)で、「現代ビジネス」の
年間5万人 就職できない有名大学「第3の入学組」の悲劇 AO入試合格組
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/452
という記事を紹介したところ、かなりの反響がありました。
・今、早稲田の一般入試で合格している人は4割切ってるんだ!
・大学が人数確保に走りすぎ…できない人をそんなにとっちゃだめでしょ。
・企業の人事担当は採用のときに、一般入試かどうかまで見ぬいているなんて…
など、反応は様々。
そんな投稿をみながら、今一度、「学歴」に対して向き合った記事を書きたいな、と思いましたので、したためてみます。
「学歴」を議論する上で何よりも大事なのは、「事実の直視」だと思っています。(学歴に限った話ではないですが)
しかし、“日本の学歴社会なんて良くない!”と、感情的な意見も少なからず…
本当に日本は学歴社会なのか?という疑問を持たずして言われることが多い気がします。
実体験を語ったもので、大変参考になるブログがあります。
◆「学歴社会」ということ
http://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no55/55_012.htm
タイやフィリピンの事例です。
また、アメリカでは、MBAホルダーなどという言葉が流通するように、実際は大学どころか大学院を出ていないと、社会的地位の高い(あるいは高収入の)職に就きにくくなっています。
上記“「学歴社会」ということ”にも書かれていますが、学歴社会という言葉は「比較」による「相対化」の中でしか生まれないんです。
そして、諸外国と比べたとき、日本は学歴社会ではない、というのが通説です。
#定量的に測ったデータや測り方は多種多様ですので、ここでは割愛します。
ではなぜ日本において、これだけ「日本の学歴社会はよくない!」のような批判を目にすることが多いのでしょうか?
私見では、“学歴社会という言葉は「比較」による「相対化」の中でしか生まれない”という事実を脇におき、少数の人の「見栄」を気にする余りの「ひがみ」が流布しやすい構造に(日本社会が)あった、と思っています。
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