いたずらに多読するばかりが学びではありません。本棚にある1冊を再読する。そして類推を利かせる。「再読×類推」―――この2月、知的トレーニングの春キャンプとしてやってみてはいかがでしょうか。
……これはとても含意に富んだ詩です。この詩にぴんと響いた人は、“大いなる何か”と感応して仕事をした経験のある人でしょう。
ほんとうに深い仕事をしたとき、人はよく「何かが降りてきた」とか「何か大きな力に動かされた」と口にします。物理的には、道具によって、自分の身体・技術によってそれがなされるわけですが、ほんとうのところは“大いなる何か”と自分との協働なのです。仕事をするうえで、道具は大事です、身体・技術も大事です。しかしその次元から突き抜けて“大いなる何か”とつながれるかどうか、ここは実に重大な一点です。
◇夢の中の設計図 (部分の抜粋)
祈りもなく
何を夢見ることができよう
どんなに固い
石の道も
私たちの夢の迷路から
生まれるのだ
どんなに高い
尖塔も
私たちの夢の闇に
試されるのだ
……私たちは、日常、ありとあらゆる工業製品や建造物に囲まれています。例えば、コップや鉛筆、パソコン、自転車、家屋、ビル、道路、看板など。これらはもれなく、誰かが製造の意図を持ち、誰かが形や寸法・デザインを起こし、誰かがつくったものです。そして、これらのものは明らかに出来不出来の差が生じます。
陳腐な椅子と、いつまでも使い続けたい椅子。せわしなく変わってきた貧相な街並みと、時の風雪にも耐えてきた味わい深い街並み。この差はどこから生じるのでしょうか?コストでしょうか、作り手の技術でしょうか。―――私はそれこそが、祈りであり、夢であると思うのです。
世の中に次々と出回ってくるものの多くは、あまりに機械的に、功利的に、短縮期間でつくられてくるために、そして何よりカイシャインたちによる“流し仕事”の気持ちでつくられてくるために、「祈りをくぐらせていない製品」、「夢の迷路のふるいにかかっていない事業」、「夢の闇の試練を経ていない建造物」が多くなる。だから、その分、陳腐で貧相で、次々に消えてゆく。
サラリーマンであれ、私のような自営業であれ、一人でも多くのものの作り手が、せめて自分の仕事は、「自分の祈りや夢の“ろ過”を経て、世に送り出してやる!」ということになれば、世の中のものはガラっと変わってくるに違いない。
◇メランコリーの川下り (部分を抜粋)
子等(こら)の合唱の声は日なたの匂いがして
あっという間に空気に溶けてしまう
残っているのは旋律ではない
……なまあたたかい息だ
おとなたちの目の前に浮かび上がる
決して触れることの出来ない感情のホログラム……
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。