『週刊ダイヤモンド』(2010.9.18号)に「面倒見のいい大学」として取り上げられた聖学院大学。 一大学の事例、として脇においやることなかれ。 企業人も学ぶこと、たくさんある大学の姿勢です。
これらの抵抗が基礎学力を身につけることを妨げるばかりか、その前提となる学習習慣の定着を奪っていること、往々にしてあります。
入学を認めた学生のレベルが実際に中学生レベルのこともできていなければ、そこからやらなければいけない―
「入ってから伸びる」というキャッチを使いながら、低いレベルの学習内容から始める、という、聖学院大学の入学前準備教育には、「覚悟」が滲み出ているのです。
◆就職を保証しよう、という覚悟
基礎学力をつけ、在学中に一定の学士力を身につければ、昨今外部環境の激変から、大学に大きな期待がかけられている「就職」の斡旋、という段階をこなすことになります。
就職の斡旋、といっても「過干渉」になっては、学生本人の体力を落すことにつながりかねず、いわゆる「就業力」が学生に身につかない、という悪循環になるケースもあるかと思います。
聖学院大学の提唱するのは、セーフティネット。
就職の場合、学生の希望する就職先と、企業の求人を「マッチング」させるため、何万もの企業から情報収集、学生の前に求人情報として提供したり、企業説明会の場を何度も大学で開催する、など、需要と供給の橋渡しを、それこそ「職員が汗をかいて」やっているのです。
情報が氾濫する昨今、学生が“え~その企業知っていたら受けていたのに~”ということ、かなりの確率で起きうると思います。
このような不幸を極力ゼロにする、文字通り「努力」を、聖学院大学は行っています。
以上の2点から、
「現状を真正面から見て、対峙し、解決策を、知恵と汗で模索する姿勢」
が、聖学院大学からはまざまざと見て取れるのです。
以前だったら「学士力をつける」だけで大学はよかった。
「大学は学士力をつけることに集中すべき。他のことをやるのは、高等教育機関としてあるべきではない」という「べき論」を語るのは簡単。
入学者の学力の低さを嘆くのも簡単。
また、第三者が、「そんな学力の低い人を大学に入れるべきではない」と発するのも簡単。
しかし、雇用されている大学のスタッフ側としては、現実を直視し、問題点の解決を図るしかないわけです。
自分達が生き延びていくには。
「学士力」の他、学士力以前の「基礎学力」や「学習習慣」を定着すること、就業力を身につけることまで、大学側に「現実問題として」求められている―
いうならば、大学スタッフにかかる負荷は以前の3倍。
そんな負荷に、知恵をはたらかせながら、汗もかき、今では卒業生の大学教育への満足度、89%の学生が「100点満点中80点以上」をつけるようになった聖学院大学。
現状を見て「昔だったらこんなことは…」といっている企業人。
でももう、昔じゃないんです。
「昔だったらこんなことは…」といっている企業人自身が、「こんなことは…」をさらに生んでいる、ともいえます。
今に立ち向かうには、昔以上に知恵も汗も必要なんです。
聖学院大学に見習いませんか?
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