あなたのいまやっているその努力や精進は、将来に「グラン・ジュテ」(大きな跳躍)を呼び起こすのだろうか? 世の中には、努力が結果として報われる人もいればそうでない人もいる。「報われる人生」のためには何が重要なのか。
さて、きょうはそんなことを前置きとしながら、「努力が報われる人生とは何か」を考えてみたい。
◇ ◇ ◇ ◇
下の図は、投じる努力とそれに反応する変化を表したものだ。
〈比例変化〉とは、自分の投じた努力に比例して変化がきちんと起こる状況である。例えば、語学のような習い事の場合、始めたばかりのころは、勉強量に応じて語学が上達していく。
次に〈逓減変化〉とは、努力に対する変化の度合いが徐々に小さくなっていく状態である。何事もある程度のレベルに上達してくると、何か「カベ」のようなものにぶち当たり、成長が鈍る。そんなときのことをさす。
そして3番目に〈非連続的変化〉 。私たちはときに、努力しても、努力しても、状況になかなか変化が表れない期間を経験する。しかし、それでも努力を止めなかったとき、ふと、突然にジャンプアップの変化が起きるときがある。
私は留学経験があるのでわかるのだが、アメリカに住んで最初はどうしてもヒアリングに難がある。しかし、3ヶ月後くらいに、すぅーっと耳に通ってくる(英語の場合は、頭の中で翻訳プロセスを通さず、ダイレクトに英語でものを考える)状況が起こる。これは自分の言語能力のレベルがぽんと変わった瞬間である。これが非連続的変化だ。
さて、冒頭に触れた「グラン・ジュテ」(大きな跳躍)―――これはまさに3番目の非連続的変化をいう。
また、私はグラン・ジュテを「過冷却」の現象にもなぞらえる。過冷却とは、『ウィキペディア』の説明によれば、「物質の相変化において、変化するべき温度以下でもその状態が変化しないでいる状態を指す。たとえば液体が凝固点(転移点)を過ぎて冷却されても固体化せず、液体の状態を保持する現象」。
水を例にとると、水を常温からゆっくり静かに冷やしていく。すると、摂氏0度になっても凍らず、マイナス何度という液体の水となる場合がある。この状態を過冷却という。しかし、このとき、振動などの物的刺激を与えると、一瞬のうちに水は凍結化する。
つまり、人生におけるグラン・ジュテの直前というのは、過去からの努力の蓄積が、とうに変化を起こしてもよいくらいの量を投じられているにもかかわらず、現象として変化が起きていない―――そんな「過冷却」状態であるわけだ。
そんなとき神様は、彼(女)にきっかけを与える。何かの事件であったり、出会いであったり。で、見事、跳躍が起こる。
頭ではこうした人生の原理を説明することはできる。しかし、人生というものは、そう簡単な話ではない。なぜなら、私たち一人一人がする努力を計量機をにらめっこしながらちゃんと帳簿につけてくれる神様がはたしているのかどうか―――それこそ神のみが知ることだからだ。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。