「非合理的な存在や力を信じる若者」が増えているらしい。その数字は、オウム真理教事件以前よりも、高い数値を示している。ここ15年・・・何が進んだのか?いや、何が後退したのか?考えてみる。
意気軒昂なお年寄り達がこの調査結果を見たら「今時の若い者は、自分の足で立たない」「若い者は、他力本願でいかん」ということになるのだろう・・・。知ったかぶり評論家達は、新興宗教や自己啓発セミナー隆盛の温床が、また、出来上がってしまっていると嘆くのだろう・・・。しかし、それは逆効果である。
マスコミが「若者の○○離れ」と煽り、石原都知事が新党の立ち上げ会見で若い奴に何ができるのだと叫ぶ度に、「非合理的な存在や力を信じる若者」は増え続けていくということを肝に銘じてもらいたい。
ハッキリ言わせて貰う。
「奇跡を信じていたいと答える若者達を一方的になじるお年寄り」は、老害である。
そんなお年寄り達が権力争いをする現実の世の中に対するアンチテーゼとして「奇跡を信じる若者達」の増加である。それを、ただ「弱い」と切り捨て、変な宗教が増えるかもしれないと嘆いても「害」にしかならない。言い換えると・・・
日本を支えてきたはずの良い大人達が「奇跡を信じない」「奇跡を語らなくなった」ことが、この閉塞した社会の根本的原因ではないだろうか
と考える。宗教学者である中沢新一さんの「アースダイバー」という著書の中に、こんなアメリカ先住民の神話と記述がある。
『はじめ世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って陸地をつくる材料を探してくる困難な任務に挑んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗したあと、最後にカイツブリ(一 説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私 たちの住む陸地はつくられた。
頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぼけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。こういう考え方からは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界がつくられてくる。泥はぐにゅぐにゅしていて、ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると、人間の心も同じようなつくりをしているはずである。』
高度成長という奇跡を信じて経済を支え続けてきたお年寄り達が、いま若者達に語るべき奇跡とは、こういうぐにゅぐにゅした泥みたいな話なのではないだろうか。
若者達が想い望む奇跡と現実の間を結ぶことのできる具体的な奇跡の話を、お年寄り達自身の口から聞くことがなければ、懸念している通りの「奇跡を待つだけの空虚な若者達」は増加する一方である。
少なくとも私は、リアルな話しかしない年寄りにはなりたくない。
いつまでも奇跡を信じ、語る、変な年寄りでいたいと切に願う。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。