「何を、どう生きたか」という良質のサンプルを多く見た人ほど、自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てる。
例えば、私個人が書物で出会ったロールモデルはそれこそ挙げればきりがないのですが、
その一つに、大学のときに読んだ『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)の中の坂本竜馬がある。
私はこの竜馬の姿を見て、二つのことを意志として強く持った。
一つは、狭い視界の中で生きない。世界が見える位置に自分を投げ出すこと。
一つは、どうせやる仕事なら、自分の一挙手一投足が世の中に何か響くような仕事をやる。
このときの意志が、自分としては、その後の米国留学、
メディア会社(出版社でのビジネスジャーナリスト)への就職につながっていきました。
冷めた人間の声として、
小説の中の坂本竜馬なんぞは、過剰に演出されたキャラクターであり、
それを真に受けて尊敬する、模範にするなどは滑稽だ、というものがあるかもしれない。
しかし、どの部分が演出であり、どこまでが架空であるかは本質的な問題ではない。
そのモデルによって、自分が感化を受け、意志を持ち、
自分の人生のコースがよりよい方向へ変われば、それは自分にとって「勝ち」なのです。
他人がどうこう言おうが、自分は重大な出会いをしたのだ!―――ただそれだけです。
ともかく最初のローギアを入れるところが、一番難しい。
しかし方法論としては極めて単純で、「第一級の人物の本を読もう!」なのです。
「何を、どう生きたか」というサンプルを多く見た人は、
自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てる。
確かに、身の周りを見渡して、立派なロールモデルはいないかもしれない。
私もサラリーマンを長年やって、
職場の上司や経営者で立派な人物に出会う確率は非常に小さいことを知っている。
しかしロールモデルは、何も近くにいる実在の人間ばかりとは限らない。
図書館に行けば、古今東西、無尽蔵に探したい放題だ。
時空を超えて、自分の生涯のコースを変えるモデル探しをしてみよう―――
その意欲が何よりも「自分がやりたい方向性・自分がなりたい理想像」を見出す源泉、
延いては「志」形成の素となる。
したがって、このモデルを求める意欲の格差こそ、志の格差を生み、
結果、人生の格差につながっているのではないか―――私はそう思っている。
次回はそのあたりのことを書きます。 〈続く〉
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【志力格差の時代】
2010.02.01
2010.01.17
2009.12.28
2009.12.08
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。