志力格差の時代〈上〉~ロールモデルは不在か?

2009.12.08

組織・人材

志力格差の時代〈上〉~ロールモデルは不在か?

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

「何を、どう生きたか」という良質のサンプルを多く見た人ほど、自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てる。

答えの第1位は、ダントツで――― 「両親(父・母)」である。
これは長年変わりがない。
そして1位に遠く離された格好で、「先生」とか「兄弟」とか、
今なら「イチロー」とかが続く。

「なんだ、親子関係がギスギスしているような風潮で、安心できる結果じゃないか」
と大人たちは、うれしがるかもしれない。
一方、子供たちも、「一番に尊敬できるのは両親です」と答えておけば、
周りから感心されるばかりなので、とりあえず無難にそう答えておくか、
一部にはそんな心理がはたらいているのかもしれない。

私は、多くの子供・若者が、判を押したように「尊敬する人は両親」と答えるのは、
あまり感心しないし、その流れは変わった方がいいとさえ思っている。

これは何も、親を尊敬するな、と言っているのではない。
もしこれが「あなたが一番感謝したい人は誰ですか?」―――「両親です」
であるならば、これはもう諸手を挙げて感心したい。
親というものは、尊敬の対象というより、感謝の対象のほうがより自然な感じがする。

ともかく、小さい頃から多様なモデルを摂取していれば、
尊敬する人は?―――という問いに対して、
誰も彼もが「両親」と紋切りに答えるわけはないのです。

だから、私が大学生や若年社員向けの講義や研修で言うことは、
「今一度、野口英世やヘレンケラーやガンジーなどの自伝や物語を読んでみなさい」です。

もちろん、ここで言う野口英世やヘレンケラーなどは象徴的な人物を挙げているだけで、
古今東西、第一級の人物、スケールの大きな生き方をした人間、
その世界の開拓者・変革者ならだれでもいいわけです。

そうした偉人たちについて、
小学校の学級文庫(マンガか何かで書かれた本)で読んだ時は
誰しもたいていその人の生涯のあらすじを追うのに精いっぱいだったと思う。
しかし、ある程度大人になってから、活字の本で改めて読んでみると
そこには新しい発見、啓発、刺激、思索の素がたくさん詰まっている。

それら偉人たちの生涯に真摯に触れると、
まず、自分の人生や思考がいかにちっぽけであるかに気がつく。
同時に、自分の恵まれた日常環境に「有難さの念」がわく。
そして、「こんな生ぬるい自分じゃいけないぞ」というエネルギーが起こってくる。
それは、“焦り”の感情というより、“健全な前進意志の発露”というのに近い。

そうやって多様なモデルを摂取し続けていると、
具体的に「ああ、こんな生き方をしてみたいな」という模範モデルに必ず出会える。
そして、何らかの行動を起こし、もがいていけば、
自分の方向性や理想像がおぼろげながら見えてくる。
そこまでくると、自分の集中すべきことが明確になってきて、
行動を重ねるごとにますます方向性と像がはっきりしてくる―――
これが私の主張する「自分のやりたいこと・なりたいもの」が見えてくるプロセスです。

次のページそれは自分にとって「勝ち」

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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