自分を超えていくところに新しい自分と出合う

2009.11.30

組織・人材

自分を超えていくところに新しい自分と出合う

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

【京都発】二人の陶芸家、河井寛次郎と近藤悠三の言葉から平成ビジネスパーソンへのメッセージを抽出する

とまぁ、このような言葉を無尽蔵に放つのが河井の「いのち」です。
たぶん、本人は「いのち」の迸(ほとばし)りの何千分の一、何万分の一しか言葉として
残していないでしょうから、
タイムマシンに乗って、直に本人に接触できたとしたら、
多分、その烈しい「いのち」に火傷を負わされそうです。

仕事に冷めた人間は、こうした言葉を読んで、
「仕事好きのワーカホリックはみんなこんなことを言う」と言い捨てるかもしれません。
最後に記した「暮らしが仕事 仕事が暮らし」なんていうのも、
昨今のワークライフバランス観点からすれば「バツ」でしょう。
しかし、そうした見方でこれらの言葉を皮相的に排除することこそ
「仕事」というものを矮小化してとらえる行為にほかなりません。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、二人目、近藤悠三の言葉です。

「ロクロやったら、ロクロが上手になる。上手になると良いロクロができにくい。
つまり字をうんと勉強してやり出すと、
決まった字になって味がぬけるということがありますねぇ。
ロクロでもうんとやり出したら、抹茶茶碗の場合ですけど、ようないし、困ってねぇ。
困らんでも、それをぬけてしもうたらいいんですけど・・・。

なんぞ、手でも指でも一本か二本悪くなるか、腕でも片方曲らんようになれば、
もっと味わいの深いもんができるかと思うし、しかし腕いためるわけにもゆかんので、
夜、まっくらがりで、大分やりましたねえ。そして面白いものできたようやったけど、
やっぱし、それはそれだけのものでしたね。

いちばんロクロがようでけた時は調子にのるし、無我夢中になると、
いつの間にか茶碗ぐらいでも三十ぐらい板に並んでいて、
寸法なんかあてずに作っていても、そろうとるんですな。
そしてあっと思ってるうちに三十ぐらいできてるんですな。
きちんと同じに揃っているものが―――。

あとから考えたことやけど、私の手の中に土が入ってきて、勝手にできる。
つまり土ができにきよる。わしが作るんと違う。
そういうようなことがずうっとありましたな。
四十から五十ぐらいの時かな。つまり修練ですねえ。
そうして、勝手にできたものが名品かというと、そうではない。
勝手にできるというところで満足してしまうと職人になってしまいますねえ」。

この一節は、作家の井上靖さんの著書『きれい寂び』の中の
「近藤悠三氏のこと」という箇所で紹介されているものです。

私はこの言葉に触れて、
彼の(職人を超えて)芸術家であることの魂というか執念というか
剛毅な気骨を感じました。

次のページ仕事にはその先がまだまだある。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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