大学生時代に何をしておけばよいか?という質問にお答えしました。大学生のうちに学びの考え方を変えておかないと、社会人としては活躍できないでしょう。「学生のような社会人」になってしまわないように、すべきことは何でしょうか?
(大学生向けのトークライブで「大学1~2年生でしておくべきことは何ですか?」という質問をいただきましたのでお答えします。)
勉強とは、学問や知識を得ること
学生とは勉強をすることが仕事みたいなもので、小学1年生から大学4年生(あるいは大学院)まで16年もの間、毎日のように続けています。
私たちが物心ついたときには、すでに義務教育という仕組みで自動的に小学生になっています。
つまり学生とは、意思で選んだのではなく、日本の教育制度の中で自動で学生になったものです。
浪人や留年などをしたとしても、いずれは学生を卒業し社会人となります。
学生は学問というものを学びます。
その学問とは、世の中のあらゆる学びの要素を分類化したものです。
「国語」「数学」といったように、「語彙を学ぶこと」と「計算をすること」を分けて勉強したほうが効率的だと考えたのです。
しかしながら、国語も文法という概念などがあるように数学的の要素がゼロというわけではありません。
また最近では学科が細分化されすぎたため、隣の学問であっても全くわからないということも起きています。
学問はあくまでも勉強しやすいように細分化したものですが、かえってそれが総合的に考えることの妨げになっていることも指摘されています。
テスト中心の現代の学業では、勉強のほとんどが記憶になっています。
受験勉強は最たるもので、試験の行方は記憶力に委ねられています。
勉強したことに対し、そのままの質問が出され、それに対して答えを記入するという方法です。
質問に対して記憶から引き出した答えを記入し、それに対して○や×が付けられます。
私たちは学生の間の十数年間は、そうした質問に対する答えばかりを探すクセを身につけられてしまっています。
社会は勉強では通用しない
しかし社会はどうでしょうか?
Q. 質問には正解があるでしょうか?
社会では学問のような答えを出すことはできません。
学問はある仮説や環境を固定した状態で答えを出す訓練をしています。
1+1の答え2になるが学問です。
2人の人が協力したら作業が2倍になるというわけではありません。
協力すれば3倍になるかもしれませんし、仲が悪ければ半分になるかもしれません。
つまり、その場の正解はそれなりにあるのでしょうが、その正解が将来の正解となるかはわかりません。
私たちが出すべき答えは、結果的に正解へ導くような回答です。
答えの出し方そのものに正解の可能性を含んでいるかがポイントになるのでしょう。
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